大阪三大夏祭 「生國魂(いくたま)祭」
私のアトリエは大阪市内のビルが立ち並ぶ街並みのマンションにあるのですが、あちこちの神社のおねりが前を行き交うので、遠くから近づいてくる祭囃子に盛夏の到来を感じずにはいられません。人口の多い都市部では、夏に疫病がはやったことから、神輿を繰り出して氏地を巡幸し、疫病をもたらす災厄をお祓い頂くのです。
大阪の郊外に住んでいた時は、都会の神社の行事に祭り情緒なんてあるのだろうかと思っていたのですが……さて市内に住んでみるとそこには浪速っ子の熱い心意気がありました。
今日は大阪三大夏祭のひとつ生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)の生國魂祭(いくたままつり)をご紹介したいとはりきっています。我が家はこの歴史ある神社の氏子なのです。
● 大阪三大夏祭とは……
・生國魂神社《生國魂祭》 7月11日~12日
・大阪天満宮《天神祭》 7月24日~25日
・住吉大社《住吉祭》 7月30日~8月1日
※正確にいうと大阪の神社の三大祭。大阪で最も早い夏祭である勝鬘院《愛染祭》6月30日~7月2日をカウントする場合もあります。
日本書紀にも記された由緒ある神社
「いくたまさん」と親しまれている生國魂神社は、約2700年前に初代天皇の神武天皇が、日本列島そのものの御霊である生島大神、足島大神をお祀りされたのが始まりで、大阪最古の神社と言われています。
神社が元々あった場所に大坂城が築城されることになり、今の場所に遷されました。
まず、この神社を御存じない方は、生、國、魂という語感に驚かれるのではないでしょうか。住所は「天王寺区生玉町」、近隣小学校は「生魂小学校」と表記も色々あり、地元の者も戸惑うのですが、古くは日本書紀に「生國魂社」と記されているのです。
昭和20年代に戦災、天災が続き、現在の社殿はついには鉄筋コンクリートでの再建となりました。しかしながら、「生國魂造」という豪壮な桃山時代の建築様式は守られています。特徴は千鳥破風、すがり唐破風、さらに千鳥破風の三段重ねです。しかし拝殿があるためなかなか見えにくいのですが、社務所や手水舎のあたりから何とか窺い知ることができます。
いくたまさんは上方文化を育んだ中心地であり、近松門左衛門の浄瑠璃、『曽根崎心中』の冒頭「生玉社前の段」、谷崎潤一郎『春琴抄』の冒頭にも描かれました。井原西鶴や上方落語の祖である米澤彦八も、生國魂神社を舞台に活躍しました。
もうひとつ、初めて参拝する人が驚かれるのは、この歴史ある神社の周辺に寺町とホテル街が混在していることです。それはもう、夜のまばゆいネオンの輝きに辟易するばかり。
「なんでこんなことになってしまったのか……」
地元の歴史にお詳しい生玉寺町にある大寶寺の溝淵寛雅住職に尋ねてみました。
「神社の境内地は守られていますが、神社に付属の『生玉十坊』とよばれた社僧屋敷(明治の神仏分離によりほぼ廃絶)の跡地や、その周辺にあった茶屋の名残。それに、戦災により焼失した寺町の寺院が境内地の一部を手放したり、寺ごと移転したりした跡地などにホテルが建っています」とのこと。
生玉十坊は真言宗の寺院だったそうです。神社の北にある「生玉真言坂」という坂の名に、今もその名残をとどめています。
2015.07.04(土)
文・撮影=中田文花