人を殺し、女性を誘惑するアンモラルな役柄
――この役は待ち望んでいたものだったのでしょうか。
「もちろんです! 『ドン・ジョヴァンニ』を歌いたくない人なんていないでしょう。私にとっては、モーツァルトが台本作家のダ・ポンテと組んだ三部作(『フィガロの結婚』『コジ・ファン・トゥッテ』『ドン・ジョヴァンニ』)はバイブルのようなオペラです。物語と歌詞と音楽が素晴らしく、オペラ芸術の頂点といえるでしょう」
――その一方で、ドン・ジョヴァンニは大変アンモラルな役でもあるわけです。冒頭のシーンで殺人を犯して、女性を誘惑し続け、最後は地獄へ落ちてしまう……精神的にきつく感じられることはないですか?
「そこが役者と歌手との違いで、役者はその役に埋没してしまうことがあっても、歌手はまず歌わなければならないので、意識の上では冷静でいなければならないんです。自分の中で役と距離を置いて、コントロールしながら客観的に演じなければならない。振り回されてしまってはダメだと思います」
――なるほど。
「悪い役には、それを演じるという楽しみもあるわけです……引きずられる可能性はないけれど、自分にももしかしてそういうダークな部分があるかもしれない、と考えるのは面白いですよ。声楽的にも、チェーザレ・シエピ(20世紀に活躍したイタリア人歌手)やサミュエル・レイミー(アメリカ人歌手)のような低いバスもこの役を歌ったし、僕のような高めのバリトンも歌う。色男もいれば、力で圧倒するタイプもいるし、内面の狂気を隠した繊細な男としてのドンも存在する。歌手たちは皆、自分なりのドン・ジョヴァンニを作り上げていくのだと思います」
2014.10.21(火)
文=小田島久恵
撮影=山元茂樹