「水玉の女王」、草間彌生。世界からの大喝采を浴びてもなお、彼女の制作意欲はとどまるところを知らない。

 アートに一生を捧げようとしている芸術家のスタジオを訪れ、訊ねてみた。「アートとは、あなたにとって、何なのですか?」

» 第1回 世界的な熱狂が続く草間彌生の「今」

「作品制作の時間を目一杯とりたい。四六時中、命をかけた制作を全うするために不眠不休の日々を送っています」

幼少時の幻視体験から逃れるための創作活動

 草間は1929年、松本の旧家に生まれた。幼少時から幻覚や幻聴に襲われ、それらの強迫観念的な体験から逃れるために絵を描き始めた。トレードマークとも言える水玉の起源も、子ども時代の作品にまで遡ることができる。早くから画家を志したものの、家族、なかでも母親はそれを頑なに認めず、描いた絵を捨てられたこともあったという。

 家族の反対を押し切って絵画の勉強を続けた彼女は、1952年に松本で最初の個展を開いた。作品は美術批評家の瀧口修造らの注目するところとなり、国内での展覧会が次々と実現。しかし草間はそれに満足せず、より自由な環境を求めて、海外へと旅立つ。

 1957年、草間は単身アメリカに渡った。翌年にはニューヨークを拠点に活動を開始。戦後のアメリカではジャクソン・ポロックやウィレム・デ・クーニングに代表される抽象表現主義が台頭し、60年代にはミニマルやポップなど、多彩な様式のアートが花開いた。草間はその只中で独自の表現を追い求めていった。

「私はアメリカの美術界で、死にものぐるいの闘いを続けてきました。貧乏をしながら、具合が悪くなって倒れるくらい一生懸命描いていました。苦労して生きていたあの頃を思い返すと、今も芸術の深淵を探ろうと日々闘っている自分に誇りを感じます」

2014.06.27(金)
撮影:森本美絵
文:鈴木布美子

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