こんな経済状況ならば、反対の声があがるのも当然。闘病中の方が「ただでさえ、生活が苦しいのに、上限額が引き上げられたら死んでしまう」と答えていたのを見たときは、ひどく心がかき乱された。病気と戦っている人、病気になってない人、治療費を払えない人、いくらでも払える人、みんな年齢や立場が違うから、それぞれ違う意見があって当然だ。
当事者として思うこと
でも、高額療養費制度の恩恵は絶対にある。たとえ上限額が引き上げられたとしても、絶対にある。

先生たちによる診察や手術、看護師さんたちによる血圧測定やポートへのカテーテル接続、先生たちも看護師さんたちも泣きじゃくる私の話を根気よく聞いてくれた。2024年5月から受けてきたすべてのものは、1億円を払っても足りないくらいだ。なのに、負担したのは数百万円。いまこうして、再発転移もなく、やりたい仕事ができていることを考えたら、引き上げられても文句は言えない。
もっとも、医療費なんて削るものじゃないと思っているし、ほかに削るべきものがいっぱいあるんじゃないか。1600億円も使って大阪・関西万博なんてやるくらいだったら、すこしでも医療設備などに回したほうがいいに決まっている。万博のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」らしいけど、なんだかモヤモヤしてしかたない。
高額療養費制度には助けられているけど、長期の治療となるとたしかに経済的にしんどいものがある。これから10年にわたってホルモン剤、2年にわたって分子標的薬を飲み続けるわけだけど、ホルモン剤の代金だけでも月50万円になる。国保による3割負担で15万円、高額療養費制度を使えば月8万円にしてもらえるけど、それを10年となると960万円。
さすがに「ホルモン剤って、ジェネリックないの?」って思ったけど、承認されていないらしい。死にたくないから、薬を処方してもらわないといけない。いままで買っていたものを諦めてでも、医療費は払うべき。まこちゃんと「毎月、1足靴を買うのを諦めればいいか」って話になった。

写真=鈴木七絵/文藝春秋

2025.07.26(土)
文=平田裕介