人気バンド・GLAYのTERUとJIROが月刊「文藝春秋」(2025年6月号)のインタビューに答え、これまであまり触れてこなかった解散危機について語った。

1988年、郷里の北海道函館市で、幼馴染のTAKUROとTERUを中心に結成されたGLAY。25年ぶりの紅白出演も果たした昨年は、GLAYにとってデビュー30周年というメモリアルイヤーでもあった。
驚異的ヒット、20万人ライブ…人気絶頂期に事務所と…
メンバー間の仲の良さで知られるGLAYに解散危機が訪れたのは、人気絶頂期にあたる1999年。1997年に「口唇」がシングルとしては初のオリコンチャート1位となり、その3カ月後にリリースした「HOWEVER」はシングルとしては初のミリオンセラーを達成。同年にリリースした初のベストアルバムは出荷枚数約500万枚という驚異的なヒットを記録した。そして、1999年には幕張メッセ駐車場特設ステージで“20万人ライブ”を開催している。

「あまり表には出ていない話ですが、実はバンドと当時の所属事務所との間で、さんざん擦った揉んだしたんです。自分たちのプライドを守るのか、今後の活動をするために妥協するのか、という岐路に立たされました」(JIRO)
「ツアー中、JIROがまったく笑わなくなっちゃってね。あのときは『アンコールをされてもステージに戻りたくない』って思っていたんだよね?」(TERU)
2025.05.16(金)
文=「文藝春秋」編集部