囲碁愛好者のフランス紳士が指摘した映画の秘密
滞在中、パリ市内の集会所では、高尾九段が囲碁普及のために現地のファンに指導碁を打つイベントが開催された。会をとりまとめているジェローム・ユベールさんは知的で温厚なフランス紳士だ。京都の大学に留学経験があり、奥様も日本人なので日本語が流ちょうで助かった。
ジェロームさんから、映画に登場する盤面のひとつが江戸時代の名人碁所である4世井上因碩の『囲碁発陽論』という本からの引用であることを指摘された。映画を見てそれが分かる人など、日本にだってほとんどいないから驚いた。
会場にはたくさんの囲碁愛好家が集まっていた。高尾さんは一度に4人を相手にする4面打ちを2回、計8人と指導碁を打った。私も日本棋院の囲碁大使を拝命している身なので、囲碁の会のフランス人と3局打った。言葉は通じないが、囲碁を打っていると相手の気持ちがよく分かる。「手談」という囲碁用語がある。言葉を交わさなくとも、囲碁を打てば相手と気持ちが通じ合えるという意味だ。『碁盤斬り』の作中でも、格之進は碁を打つことで相手を知り、多くの知己を得ていくのだが、フランスの人々と対局しながら、その言葉の重要さを実感した。

その日の夕食は、パリ中心部のレストランでとることにした。すると、壁に『碁盤斬り』のポスターが張ってある。嬉しくなって写真を撮ろうとしていたら、レストランの支配人から「私もこの映画を見ました。とてもいい映画ですよ」と声をかけられた。この映画の脚本を私が書きましたと伝えると、とても喜び、ボルドーの赤ワインを1本サービスしてくれた。何気なく入った店だったが、日本の元総理や国民的歌手が訪れるという有名店だと知った。ワインのお礼に日本から持参した小説『碁盤斬り 柳田格之進異聞』をプレゼントするとたいそう喜んでくれて一緒に写真を撮った。
帰国前日の朝は、有名な画家や文豪たちに愛されたカフェ「レ・ドゥ・マゴ」のテラスで朝食をとった。パリの街中には、芸術家たちの記憶を宿す店が多く残っている。

2025.04.30(水)
文=加藤正人