しかし、事件と同じくらいに読ませるのは、刑事たちの私生活だろう。今回どんでん返しの精度を確認するために『魔術師の匣』を再読した話を書いたけれど、冒頭に、ルーベンとユーリアが“猛獣のごとく性交に及んだ”(上巻七四頁)という話が出てきて驚いた。ミステリの場合、どうしても事件中心に読んでしまうことになるのだが、レックバリの小説(とくに『氷姫』『説教師』などのエリカ&パトリック事件簿)は、基本的に、連続テレビ・ドラマ的であり、事件と同じ比重で刑事たちの私生活が紡がれていく。メンタリストのヘンリック・フェキセウスと共著したミーナ&ヴィンセント三部作も例外ではない。ミーナのみならず刑事たちの私生活が詳しく描かれているのだ。

 文芸評論家の北上次郎さんも同じ見方で、「刑事たちの私生活が必要以上の分量で描かれる」と第一作『魔術師の匣』について書いている。構成に難があると思うかもしれないが、「小説は断じてストーリーではないと思うのはこんなときだ。(略)小説は無駄と寄り道があるから面白いのだ。そのことを久々に教えてくれる小説であった」と「小説推理」二〇二二年十一月号に書いてあるのだが、思い返せば北上さんが亡くなったのは、二〇二三年一月十九日。十二月上旬に緊急入院していたので、最晩年の書評となる。いったい第二作と第三作を読まれたなら、どんな書評を書かれただろう? 間違いなく、寄り道にみちた小説の面白さを称賛しただろうし、読者の意表をつく本書については「ぶっとぶぞ」と文庫解説に書かれていたかもしれない。なぜなら「ようするに、特捜班の連中が愛しいのだ。これに尽きる」(同)からである。登場人物たちの一人一人に思い入れを抱いてしまう。本当にキャラクターひとりひとりが愛しいのである。キャラクターが際立っている。

 さきほどのルーベンとユーリアの話に戻すと、ルーベンとユーリアの性関係は一度だけで、ユーリアがトルケルと結婚する前の、ユーリアが泥酔した時の出来事であるけれど、本書を読んだ後にそれを知ると(僕だけでなくシリーズの読者も細かいことは忘れているだろう)、そうか、この二人にはそういう過去があったのかと、第二作から本書にかけて描かれる二人の私生活の変遷に、ある種の感慨を覚えることになる。

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2025.04.22(火)
文=池上冬樹(文芸評論家)