日本には、だいたい9000ほどの駅があるという。東京駅や新宿駅のような巨大なターミナルから、1日に数人しか使わないような小さな無人駅まで、その規模や性質はさまざまだ。駅前風景だって、駅によってまったく違っている。9000以上の駅は、ひとつひとつまったく違う個性を持っているのだ。
そんな中にあって、ただひとつ絶対的に共通していることがある。
それは、どの駅も大なり小なり「町」を抱えているということだ。
駅がそこにあるからには、その駅を使う人がいて、その人が暮らしている家があったり、働いている職場があったり、また食べたり飲んだり買い物をしたりする商業施設があったり。駅が先か、町が先かなどという話をはじめるとキリがないのでやめておくが、どの駅・町だって、駅と町が相互に影響を及ぼし合いながら歴史を刻み、いまの姿形になっている。
見知らぬ遠くの駅にやってきて、その町を少しだけ歩く。そのときに見る風景と感じる情景は、これまでの歴史をすべて含んで飲み込んで移り変わってきた“いま”そのものといっていい。だから、鉄道という観点だけではなく、町と駅とがどのように関わっているのかを考えながら、駅と町を歩くことにしている。そうすると、きっと何か発見があるに違いない、と思っているのだ。
……などと、いささか大仰な話をしてしまったけれど、とにかく本書のテーマは終着駅だ。文春オンラインに寄稿している「ナゾの駅」シリーズから、何らかの形で列車の“終点”になっている駅を取りあげた。
終着駅というと、線路が途切れるどん突きの駅をイメージする向きも少なくないと思う。が、本書のいう“終着駅”は、そういう意味の終着駅だけでなく、多くの列車がその駅を終点としている、つまり「●●行き」の列車が多い駅という観点からもピックアップしている。ありていにいえば、通勤電車の行き先の駅、というわけだ。
ふだん、通勤電車の終点に行くことはめったにない。たとえば中央線に乗って気がつけば大月駅へ、などという事態が起きたら、それは悲劇以外ではほとんど考えにくいできごとだ。だから、そうした駅はしばしばナゾの駅として扱われ、面白おかしく取りあげられる(本書もそのひとつです、すみません)。
2025.04.05(土)