この記事の連載
浅野順子さんインタビュー ダイジェスト#1
浅野順子さんインタビュー ダイジェスト#2
浅野忠信の母として知られる浅野順子さん(74)。その波乱万丈の人生を、同世代のミュージシャン・近田春夫が聞き手となって掘り下げる対談が行われた。
戦後の日本で米兵の父と元芸者の母のもとに生まれ、10代でゴーゴーガールとして活躍し、伝説の美少女グループ「クレオパトラ党」の一員となった順子さんの半生は、まさに劇的だった。順子さんの幼少期から10代をダイジェスト記事でお届けする。
「何、人の縄張りで踊ってんのよ」ディスコで一触即発の雰囲気に

浅野順子さんは1950年、横浜の弘明寺で生まれた。父はアメリカ人の料理兵ウィラード・オバリングさん、母は元芸者のイチ子さん。順子さんが4歳の時、父は進駐軍の引き揚げでアメリカに帰国。その後、順子さんは母とともに各地を転々とし、やがて横浜に戻ってくる。
10代後半、順子さんは銀座のディスコ「キラー・ジョーズ」でゴーゴーガールとして働き始める。「1回の出番が大体30分。1日5、6人でシフトを組んでたわね」と順子さんは当時を振り返る。その頃の月収は、今の貨幣価値に換算すると30万円ほど。「毎日好きなダンスを踊ってるだけなのに、そんなにもらえるなんて! と大喜びしてたわよ」と笑う。

18歳の時、順子さんは横浜で名を馳せていた美少女グループ「クレオパトラ党」に加入する。きっかけは、ある晩のディスコでの出来事だった。
「ある晩、私が女友達と一緒に元町にあった『ロマン』っていうディスコで踊ってたら、5~6人でつるんだ生意気な感じの女たちが入ってきたわけ。そのうちの一人が、『何、人の縄張りで踊ってんのよ』みたいな視線を向けてきて、バチンバチンな雰囲気になったけど、喧嘩にまでは発展しなかった」
翌日、順子さんは彼氏に連れられて元町のレストランに行く。そこで出会ったのが、前日にディスコで対峙した「クレオパトラ党」メンバー、サリーだった。意外なことに、二人はすぐに意気投合。「その日から、二人で家にも帰らず遊び呆けることになった」と順子さんは語る。
順子さんが語るクレオパトラ党の実態
クレオパトラ党の実態について、順子さんは意外な事実を明かす。「よく勘違いされるんだけど、クレオパトラ党のメンバーは、別にナポレオン党の男どもの彼女ってことでもなかったのよ。一緒にドライブしたりはするものの、ただ単に友達」だという。ナポレオン党は車を持つ裕福な若者たちのグループで、「言ってみれば、ただ車と女の子と音楽が好きなだけの若者の集団だった」と順子さんは説明する。
クレオパトラ党には、後に芸能活動を行うことになる山口小夜子やキャシー中島も所属していた。順子さんによれば、グループの人数は「せいぜい6人ぐらい」だったという。活動内容は、「横浜マリンタワーの下にあったハンバーガーショップに集合して、車で本牧の『イタリアンガーデン』『ゴールデンカップ』といった生バンドが演奏する店に繰り出したり、箱根や湘南の方まで遠出したり」というもの。

「クレオパトラ党」には3つのルールがあったと言われている。「一、お酒もケンカもOKだが、タバコはすってはいけない。/一、どんな店であろうと、いったん踊りはじめたら、その店で踊っている誰よりもカッコよくステップを踏まなければならない。/一、一度でも男とセックスしたら、メンバーから出ていくこと」。しかし順子さんは笑いながら「……いや、セックスぐらいしてたわよ(笑)」と告白する。
この頃、順子さんはモデルの仕事もこなしていた。音楽グループ「ゴールデン・ハーフ」からも誘いがあったというものの、「芸能界って時間厳守じゃない? 私には無理だと思ってすぐに断ったわよ」と順子さん。

順子の波乱万丈の人生は、ここで終わりではない。30代で浅野忠信を出産し、60歳を過ぎてから画家としてデビューするなど、その後も驚くべき展開を見せる。「クレオパトラ党」時代を含む若き日々の経験が、順子のその後の人生にどう影響したのか。詳しくは連載中のインタビュー本編にてお届けする。
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浅野順子(あさの・じゅんこ)
1950年横浜市出身。ゴーゴーダンサー、モデルなどを経て結婚し、ミュージシャンのKUJUN、俳優の浅野忠信の2児を儲ける。ブティックやバーの経営に携わった後、独学で絵画を描き始め、2013年、63歳にして初の個展を開催。その後、画家として創作を続ける。ファッションアイコンとしても注目を浴び、現在は、さまざまなブランドのモデルとしても再び活動を繰り広げている。

2025.04.29(火)
文=CREA編集部
写真=平松市聖