「マリさんには弱ってる男性が寄ってくる」

 息子の実の父親は自称詩人で、私がフィレンツェの国立アカデミア美術学院で学んでいた17歳のときに知り合った。11年間同棲の後に妊娠がわかり、詩人とは別れる決意をした。知性と引き換えに私の同情に支えられて生きている人だったが、もう彼の面倒をみている場合ではなかった。

 脳科学者の中野信子さんが「マリさんには弱ってる男性が寄ってくる」とおっしゃっていたこともあったが、確かに夫も心筋炎で担ぎ込まれたICUから国際電話をかけてきて、今にも死にそうな声で「結婚しませんか? したほうがいいと思います」と提案をしてくるような人だ。

 こんな家族の一員となったベレンもまた、変わった猫だった。猫らしい甘え方が全くできず、人生で一度も私の膝の上に乗ってきたこともなければ、スリスリと体をなすりつけてくることもない。ベレンに話しかけるときの私は、衝動的に1オクターブも2オクターブも上げた猫なで声になるが、ベレンは普段の私のドスの利いた声のほうが好きらしい。ベレンがミャーオとは鳴かずに「ナ」とか「マ」と短い低音を発するのは、息子に言わせると「あなたの声の真似をしている」ということだ。私の猫との付き合いは物心ついた頃からだが、歴代ここまでクールな猫は初めてだった。

 子どもの頃は団地住まいだったのに、側には常に猫や犬がいた。母が無類の動物好きで、野良猫や野良犬を拾ってきてしまうのだ。指揮者だった父は私が生まれる前に病死し、母は再婚して妹が生まれたがほどなく離婚して、私たち姉妹を女手一つで育ててきた。といっても私が母と過ごした時間は極めて少ない。母は東京の人間だったが札幌交響楽団創設時にヴィオラ奏者として入団し、退任してからはヴァイオリンの教師として、トヨタのハイエースを駆って北海道じゅうを飛び回っていた。

 私が成人してからのことだが、母は車窓から野生の動物を見つけると興奮して大騒ぎになった。ヒグマの子どもが現れたときは窓を開けて「かわいい! 飼いたい!」とおたけびを上げたので、熊のほうが怯えて逃げていった。

 私たち家族は2001年の私と夫の結婚を機に、シリア、ポルトガル、アメリカと移り住み、13年に息子はアメリカに残り、私と夫はイタリアへ戻った。

 シリア時代、私たちは首都ダマスカスの駐車場で赤茶の野良猫を拾い、顔が映画『ロード・オブ・ザ・リング』のゴラムに似ていたことからゴルムと名付けた。リスボンへの引っ越しで初めて飛行機に乗せられたときも、全く動揺を見せずにカゴの中で熟睡するような大物だった。

 リスボンにいる間に夫のシカゴ大勤務が決まり、夫は一足先にシカゴで暮らし始めて、息子が中学を卒業するまで私と息子とゴルムはリスボンに残っていた。夏のロングバケーションは3人で一緒に過ごそうと、ゴルムを友人夫婦に預けて私たちは沖縄で落ち合ったのだが、その3日後にゴルムが預け先の7階のベランダから斜め下の部屋のメス猫めがけてジャンプし、そのまま墜落死したというメールが届いた。冒頭の「落ち着いて読んでください」で頭が真っ白になり、泣き崩れてしまった。

2025.03.29(土)
文=こみねあつこ