小説も論文も、肝は推敲

高校生 上橋先生にぜひお聞きしたいことがあります。私も文章を書くのが好きなのですが、推敲のコツがわからず、文章をなかなか上手く直せなくて……。以前先生の、前日書いたものを翌日読み直して修正していくというエッセイを拝読しました。

上橋 ああ、やっています。推敲のコツ、というのはわからないのですけど、私の場合、まず、自分の中から滑り出てくるままに書くのですが、次の日に読み直してみると、書き足りないこと、リズムが乱れているところ、書き過ぎていることや、矛盾していることなど、たくさん直すべきところが見えてくるんです。私は、これがとても大切なことだと思っています。ひとつは、客観的に自分の創作を見ることが出来る、ということ。もうひとつは、次の日になると、前の日には見えなかったことが見える――つまり、前の日より、ほんの少しでも成長した自分になっているということが。推敲できるということは、少し前の自分が書いたものより、少し良い文章、少しだけでも洗練された文章が書けるようになった、ということですよね。それが出来るかどうかって、本当に大切なのだと思います。作家になると、ゲラ校正の段階で、校閲をしてくださっている方から「このシーンの時間が合いません」などと指摘をいただくことがあって、とてもありがたいですけど、まずは自分で気づくことができるのが大切ですよね。

髙林 論文を書く時も結構直すんですよ。バージョン1から始まって、バージョン20くらいまで普通に到達します。その中で何が足りないのかが分かる。上橋先生がおっしゃるとおり、少し時間をおいて読み返すと、ロジックのおかしな流れが見えてくる。

上橋 わあ、バージョン20ですか! 一度書いた後だからこそ見える、ということもありますものね。論文でも物語でも、出来上がった作品を、自分で、読み直してみることは本当に大切だと思います。

 私は、執筆中、自分が物語を書いているということを、家族にも秘書さんにも、編集者さんにも言わないんです。物語が出来上がって、印刷して読んでみて、推敲して、直して、「世に出してもいいな」と思えたら、初めて出版社に電話をかけるんですよ。文藝春秋の編集者さんがそちらで笑っていますけれど、私に「本を出しませんか」と声をかけてくださってから、『香君』をお渡しできたのは、実に20年後でした。20年かけて書いたんじゃないですよ。ずっと待ってくださっていた、他の出版社の編集者さんたちに順番に物語をお渡ししていって、文藝春秋社にお渡しできる物語を書くことができたのが、20年後だった、ということですけれど。でも、それだけ長く待っていただくと、電話して「書けました」と言っても、だいたい、最初の反応は「書けたって、何がですか?」という感じなのです。ワンテンポ置いてから、事態を悟った編集者さんから「ええええ!!!」というリアクションが返ってくるんです(笑)。

2025.03.07(金)
文=上橋菜穂子、髙林純示