王獣や闘蛇はどこから?
高校生 上橋先生の想像力についてぜひ伺いたいのですが、王獣や闘蛇などの魅力的な生き物たちは、どのようなインスピレーションを得て生み出されているのでしょうか?
上橋 うーん。それが、自分でもよくわからないんですけど、いきなり頭の中に浮かぶんですよ。さっき、頭に浮かんだことをデッサンするように書くと言いましたが、例えば『獣の奏者』の最初の場面で、エリンが寝床でお母さんの帰りを待っていますよね。帰ってきたお母さんが、そっとエリンの隣の寝床に入り、自分の身体に掛け布団のようなものを掛けたとき、ふわっと、お母さんの方から甘いにおいが漂ってきたんです。その瞬間、あ、これは、お母さんがそれまで触っていた生き物のにおいだ、と思い、そのとたん、頭の中に、水の中にいる闘蛇の姿と、腰の辺りまで水に浸かって闘蛇に触れているお母さんの姿が浮かんできたんです。そうやって書いているんですよ。
これまで私が経験してきたことや、楽しんできた本や漫画、ドラマ、映画、テレビ番組などから得た膨大なイメージが頭の中に溜まっていて、何かのきっかけがあると、それが滑り出てくるのかもしれませんね。

髙林 経験値が描写に活きているというお話ですが、それでいうと私、上橋先生は武道の達人なのではないかと思っていまして。
上橋 いえいえ~、私の運動神経はひどいものです(笑)。
髙林 そうなんですか? 私は、40代前半から空手をやっていまして、私の通っている道場の組手では、空手の技を出しあってお互いの技を高めるという稽古をします。『闇の守り人』で「槍舞」という場面を読んだときに、「互いの(槍の)技が絡み合いひとつの流れになる」とあって、そうそう、組手でもそういうのが理想なんだよね、とすごく共感しました。他にも、『夢の守り人』のバルサの戦闘シーンで、「男たちが取るであろう、様々な動きがあざやかに浮かび上がっていた。(中略)白熱した静けさが心に満ちた」というところがあります。これも印象に残りました。また『精霊の守り人』でも戦いの極意が語られています。そのような戦いの様子や心理をまざまざと書けるとは、上橋先生は武術の達人に違いないと思ったのですが?
上橋 えーと、武術は大好きです(笑)。実は、私の高祖父が、柔術をやっていたようで、祖母から高祖父の逸話を聞いて、「ひいひいじいちゃんかっこいい!」と(笑)。というわけで、子どもの頃から武術関係のことが大好きだったのですが、実際に、少しだけ武術を経験したのは大学院生の頃で、柔術をちょっとだけ練習しました。受け身を取ったり、覚えた型を練習したくらいだったのですが、本当にうまい人たちの動きを見ることができましたし、受け身の練習をするとき、「はい、来なさい」と言われて、指導してくださっている方に駆け寄って手首を握ると、あっという間に投げられてしまう。その投げられた感覚や、頭で考えるより先に体が動いている人たちの姿を見ることができたのは、とても大切な経験だったと思います。

髙林 なるほど、そんなご経験があったのですね。それが作品にも反映されるのかなと思います。それともうひとつ、先生の作品で、登場人物のタフさも魅力ですよね。エリンが大怪我をしたり、バルサが相手にひどく切られたりして、読んでいてハラハラしますが、驚くほどすぐに復活して次に立ち向かっていく。その「タフさ」が上橋先生の中で重要な要素のひとつなのかなと。
上橋 そうかもしれません。私の中には、バルサのようなタフな人への憧れのようなものがあるのでしょうね。つらい状況を生き抜いてきた人や、厳しい鍛錬を積んだ人などが自然に体得しているタフさには、その人の姿がくっきりと見える気がします。そういう人が、私にはとても魅力的に思えるのです。傷が治る早さ、ということで、いつも思い出すのが、イギリスの作家ディック・フランシスが書いたミステリーです。競馬騎手の経験がある人だそうで、彼が描く騎手が怪我をしたときのエピソードには、骨折や打撲に対する対処を自己流でやっていても、ふつうの人より治りが早い、という描写がよく出てくるんです。落馬や骨折や怪我が日常茶飯事だった彼の経験から書かれているのだろう、その描写を読みながら、怪我をしたときの感じ方や態度には、その人の姿がくっきりと表れるなあ、と思っていました。バルサなども、それこそ、子どもの頃から怪我は日常茶飯事だったでしょうから、自分なりの対処法も経験として身に着けていただろうと思いながら書いていました。
2025.03.07(金)
文=上橋菜穂子、髙林純示