この記事の連載
【京都府・天橋立】〈前篇〉文珠荘 松露亭
【京都府・天橋立】〈後篇〉文珠荘 松露亭

週末に、心が洗われる別世界へ出かけてみるのはいかが。少し車を走らせれば、そこにはおもてなしの心に満ちた極上の宿が待っている。
旅行作家の野添ちかこさんが、1泊2日の週末ラグジュアリー旅を体験。今回訪れたのは、日本三景・天橋立にある「文珠荘 松露亭」。京都市内から京都縦貫自動車道で約1時間40分、大阪市内からは約2時間で到着する。
さらに居心地よく進化を遂げた、京の名工の数寄屋造りの館

神代の昔、国造りの神・イザナギノミコトが、神々が住む天上界と人間が住む地上界、その2つの世界を行き来するためにかけた梯子が、海に落ちてできたのが「天橋立」といわれる。「文珠荘 松露亭」は、そんな神話の世界と現実とが交錯する神秘の地にある。「三人寄れば文珠の知恵」で知られる「智恩寺文殊堂」のすぐ横だ。初代女将が「どうしてもここに宿を作りたい」と寺から許可を得て昭和29(1954)年に開業した。
運河を望む水際の絶景は唯一無二。松の木に囲まれ、静謐な空気が漂うたった6室のこの宿は、明治元(1868)年創業の「対橋楼」の姉妹館で、もとは「文珠荘別館」という名称だった。平成7(1995)年のリニューアル時、ここを常宿としていた作家の藤本義一氏が、「天橋立の松の葉先に結ぶ露、旅の宿で人の結ぶ縁の深まりに思いを寄せる」と送った一文から「松露(しょうろ)亭」と名付けられた。

全館総平屋造り、廊下にも畳が敷かれ、素足で歩けるのが気持ちいい。京の名工たちの手による数寄屋造りで、ここ数年のリニューアルではそれら伝統的な和の趣を残しつつ、2部屋分を1部屋にしたり、木造建築の良さは残しつつ、空調をコントロールできるように見えないところに手を加え、快適に過ごせるようアップデートされた。
「吉村順三先生だったらこうしたのではないだろうか、と想像しながらリニューアルを行いました」と話すのは、幾世英磨社長。故・吉村順三氏は自然と風土に根差した数多くの建築作品を残した建築家で、姉妹館・文珠荘の設計を行った人だ。
角部屋の特別室「雲井」は、欄間や雪見障子など昔ながらの意匠を引き継ぎながら、2室を1室にしてベッドルームと大きな風呂を設えた。1部屋の広さは約117平米もある。畳に座っていたらポカポカと下から温かいのに驚いた。なんと床暖房を入れているという。昔ながらの数寄屋造りの良さを残しながら、快適性も担保している。
端正な数寄屋造りの空間から、飛び石の置かれた日本庭園を望む。左手には阿蘇海がすぐ間近に望める。日本家屋は冬は寒いものだが、木造家屋とは思えないほど快適な温度・湿度のコントロールがなされ、かつ木枠の窓から海鳥の鳴く声も聞こえてきて、情緒がある。

雪見障子は、透明なガラス部分が大きくとられ、上部に半円形の欄間障子を設けているから、さらに開放感が増す。文机の置かれた書院、茶室もある。室内への入り口や土間、浴室などを除いて、ほぼバリアフリーで段差は極力減らしている。ベッドやソファも少し高めで、高齢の方でも足腰に負担がかかりにくい仕様になっている。使わないまま終わる空間がないほど、居心地がいい空間づくりがされていると思った。
寝室のベッドはシモンズ。ベッドマットは上位モデルで高さは30センチ以上あるから、寝心地も最高。壁には、京都画壇の巨匠に薫陶を受けた、川島睦郎氏の「森羅」という作品が飾られていた。川島氏は生命の喜びを表現する風景画や花鳥画を得意とする日本画家で、深い森の大地に根を張る大木が描かれている。
木の幹を登るカブトムシ、蝶々、空を舞う鳥たちが見える。リアルな描写に、思わずカブトムシをつかみたくなる衝動にかられる。鳥たちのさえずりが聞こえてきそうな、生命力あふれる世界をバックに眠りについた翌朝は、爽快そのものだった。
2025.03.06(木)
文・撮影=野添ちかこ