その後、一九三九年(昭和一四年)、駐蒙軍参謀長として陸軍中央を離れるが、翌年、参謀本部作戦部長として、陸軍中央に復帰する。そして、この作戦部長在職中に、太平洋戦争開戦となるのである。その間、開戦を最も積極的に推し進めたのが田中であった。

 だが、一九四二年(昭和一七年)一二月、東条首相と衝突し、南方軍総司令部付に左遷される。翌年三月、第一八師団長としてビルマに派遣されるが、在職一年半で、ビルマ方面軍参謀長となる。

 一九四五年(昭和二〇年)五月、内地帰還途中に搭乗機が墜落。重傷のためサイゴン陸軍病院に収容され、そこで終戦を迎える。終戦とともに帰国するが、東京裁判では証人として出廷したのみで、戦犯指名はされなかった。

 一九五五年(昭和三〇年)に、『大戦突入の真相』を出版するなどの活動を行っていたが、一九七六年(昭和五一年)九月、死去。八三歳だった。


「はじめに」より

陸軍作戦部長 田中新一 なぜ参謀は対米開戦を叫んだのか? 

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文藝春秋
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2025.01.29(水)