村岡花子訳『アン』で聖書由来の言葉が省かれている理由も、日本にはキリスト教徒が少ないため、アンやダイアナの民族衣装が訳されないのは、昭和の日本人にとっては移民によるカナダ人という意味合いが理解しづらだろうという配慮からでしょう。こうした村岡花子訳の省略と改変のおかげで昭和に生まれ育った少女時代の私にも『アン』は読みやすく、夢中になれたのです。そうした意味で村岡花子訳は1950年代に求められる上質な翻訳です。ほかにも『アン』の邦訳書は多数あり、村岡訳を踏襲(とうしゅう)したわかりやすい抄訳と改変版であり日本における『アン』人気を支えたのです。
しかし1980年代からは日本でも西洋の品々が一般的になり、文芸翻訳は正確な全文訳が基本となりました。私自身、小説家であり、文体と場面は考え抜き、語彙は選び抜いて執筆します。凝った文章を書く小説家モンゴメリも正確な全文訳を望むだろうと思いました。
西洋の名作は若い読者のための読みやすい良い抄訳が大切です。と同時に、原書通りの翻訳も大切なのです。
こうして思いがけず『アン』の新訳に取り組むことになりました。それが今も続くモンゴメリ研究の長い道のりの第一歩であることを、20代の私はまだ知りませんでした。
プリンス・エドワード島へ
1991年春に翻訳を始めると、すぐにカナダ旅行を手配しました。『アン』には島の風景と地形、植生の描写が多く、現地取材が重要だと思ったからです。たとえば現代のカナダ人が『源氏物語』を英訳するなら一度も日本へ行かずに光源氏の恋とあわれを訳すよりは、一度でも京都や宇治を旅するほうがよいでしょう。
1991年夏に初めてカナダを訪れたときは、憧れの「アンの島」に来た感激はもちろん、翻訳者として「ああ、モンゴメリが英語で書いていたあれは、これだったのか!」と、見るものすべてに目からうろこが落ちる新発見の連続でした。
たとえば、リンド夫人が暮らす窪地(くぼち)とはこういう地形だったのか! に始まり、『アン』冒頭でリンド夫人が16枚編むベッドカバー、アンとダイアナのお茶会のラズベリー水、島の乾いた赤土の色と濡れた赤土の色合いの違い、日本ではめずらしいえぞ松(とうひ)の青灰色の葉が鈍く光る針葉樹の堂々たる美、緑の葉と白い幹がさやわかな樺の木立……。
2024.12.02(月)
文=松本侑子