14歳の私は太宰治と谷崎潤一郎の小説に耽溺(たんでき)していました。男性作家の手による大人の男の心理を読んでいた私が、『アン』で初めて自分と同じ10代の少女に出会い、情感豊かで生気あふれるアンに心をわしづかみにされたのです。アンのロマンチックで夢見がちな感性と意欲的な向上心、モンゴメリの麗しい文体、プリンス・エドワード島の四季折々のすがすがしく神秘的な風景描写、ダイアナとの愉しい遊びと会話、また海外旅行が珍しかった1970年代ですから遠いカナダの暮らし、西洋料理と焼き菓子、手芸、ちょうちん袖のドレスにも憧れたものです。シリーズを新潮文庫で集めて、くり返し読み、『アン』は心のバイブルとなったのです。

村岡花子訳の魅力

 村岡花子訳『赤毛のアン』の発行は、昭和27年(1952)です。訳文には明治生まれの文筆家ならではの古風な言葉遣いが、会話部分には古き良き時代の品のよさあり、全体の快(こころよ)いリズム、馥郁(ふくいく)として朗(ほが)らかな文体が、読書の歓びに誘います。

 村岡花子氏は歌人でもあり、わが子をこの世に迎える産着を縫い母になる日を待つ静かな喜びの一首、慈しみ育てた愛児が幼く他界して小さな骨壺を前にした悲哀の一首など、詩歌を詠む才能と語彙の確かさに感銘をうけます。

 日本で『アン』が1950年代から愛されてきた理由は、モンゴメリの優れた筆力はもちろん村岡花子訳の文章に負うところが大きく、私も十四歳で村岡花子訳に出逢ったからこそ、アンの世界を愛好し、座右の書としてきたのです。

 

『赤毛のアン』新訳の依頼を断る

 文学新人賞に応募して24歳で小説家になり、 4年後の1991年の春、集英社から『アン』の新訳を依頼されました。「村岡花子先生の名訳があり、私はずっと愛読してきましたので、新たに訳す必要はないと思います」とお答えして辞退しました。それに『アン』は児童書だと思いこんでいたのです。20代の私は、海外文学ではサガンとコレットを好んでパリを歩きまわり、最愛のアンの世界は愛しい少女小説の範疇(はんちゅう)と考えていたのです。

2024.12.02(月)
文=松本侑子