しかしお断りした会合の帰り道、そういえば『アン』を英語で読んだことがないと気づき、書店でペイパーバックをもとめ地下鉄に乗り、さっそく頁をひらくと、冒頭に初めて見るブラウニングの詩があり、これは何だろうと不思議に思いました。日本では、『アン』はアンが11歳で島に来るところから始まるとされていましたが、原書はアン誕生の祝福から幕を開けるのです。そもそもモンゴメリの原文は一文一文が長く、単語も文学的であり、児童書ではないとすぐにわかりました。以下は第一章「レイチェル・リンド夫人、驚く」の冒頭から一つ目のピリオドまでです。

 CHAPTER I Mrs. Rachel Lynde is Surprised

  Mrs. Rachel Lynde lived just where the Avonlea main road dipped down into a little hollow, fringed with alders and ladies’eardrops and traversed by a brook that had its source away back in the woods of the old Cuthbert place; it was reputed to be an intricate, headlong brook in its earlier course through those woods, with dark secrets of pool and cascade; but by the time it reached Lynde’s Hollow it was a quiet, well-conducted little stream, for not even a brook could run past Mrs. Rachel Lynde’s door without due regard for decency and decorum; it probably was conscious that Mrs. Rachel was sitting at her window, keeping a sharp eye on everything that passed, from brooks and children up, and that if she noticed anything odd or out of place she would never rest until she had ferreted out the whys and wherefores thereof.

 文体と語彙から、子どもむけに書かれていないことは一目瞭然です。

 さらに10代から暗記するほど読んで血肉となっていた村岡花子訳が省略版だったことも初めて知りました。冒頭のブラウニングの詩のエピグラフと献辞のほかに、マシューの母がスコットランドから白いスコッチローズをたずさえてカナダに渡って来た描写、マリラがアンに「血と肉をわけた実の娘のように愛している」と語り二人が母娘(ははこ)となる感涙の場面、アンが夕暮れの墓地で来し方ゆくすえに思いをはせるしみじみとした場面、ギルバートが自己犠牲の献身でアンにアヴォンリー校の教職を譲ったとリンド夫人が語る夏の夕暮れの場面など多くの描写を原書で初めて読み、驚いたのです。

 もっとも、かつての邦訳小説は必ずしも全文訳ではなく抄訳と翻案が一般的でした。19世紀から20世紀前半の西洋文学は概して長い作品が多く、長大な原作から日本人には冗漫なところやわかりづらい部分を省き、面白い場面を選んでうまくつなぎあわせて編集するわざが翻訳者の腕の見せ所だったのです。

 また西洋文化に疎(うと)いかつての日本人には馴染(なじ)みのない西洋の衣食住の品々をわかりやすい別のものに置き換える工夫も重要でした。村岡花子訳『アン』では、棒針編みのベッドカバーがさしこふとんに、ラズベリー水がいちご水、カシスの果実酒がぶどう酒、メイフラワーがサンザシに変わっています。

2024.12.02(月)
文=松本侑子