「そうですね」
私たちは後ろ髪をひかれながら、沢田家をあとにした。
雨はやみ、清々しい秋の爽やかさがもどってきた。談話室の窓からの光が、きらきらと廊下を照らしている。
「家のなかのことは、外からはわかりませんからね……」
樺沢さんに、沢田さんのことを相談してみた。地域医療や福祉の状況に詳しいため、私たちより家庭内の問題の難しさを知っている。
「民生委員さんに相談してみます」
民生委員とは、特別職の地方公務員で、社会福祉の増進につとめる立場の人たちだ。その地域の住民たちの一番近くで相談にのり、必要な援助をおこなう。家庭訪問や地域での情報収集をしながら、高齢者や障害者のいる世帯、児童・妊産婦・母子家庭などに問題がないか見守っている。また、虐待の早期発見、DV、不登校などへの介入、援助もおこなう。
「患者さんのことじゃないのに、すみません。よろしくお願いします」
「とんでもないです。地域の方からの情報がとても大事なんですよ。誤解だったならそれでいいし、問題が見つかれば介入できますから」
樺沢さんはにこにこしながらナースステーションを出ていった。
民生委員さんが見に行ってくれるなら安心だ。私は病棟の患者さんたちに集中しよう、と気持ちを切り替えた。
「卯月さん! 沢田さんのお宅のこと、本当にありがとうございました!」
樺沢さんから連絡がきたのは、イチョウがすっかり散って、道路に黄色い絨毯を作るころだった。
「何かわかりましたか?」
「お知らせするのが遅くなってすみません。実は、沢田さんのお宅にはおばあちゃんが一緒に住んでいまして……」
樺沢さんの話によると、あの家には沢田さんの実母が同居しており、認知症の症状が重く、徘徊や暴力がひどかったそうだ。沢田さんは離婚しており、あの息子さんはまだ中学生で、誰にも相談できずに抱え込んでいた。民生委員さんが訪ねたときも、最初はなかなか家の状況を話してくれなかったらしい。自分の家のことは自分でどうにかする。そう思い込んで誰にも相談できない人はけっこういる。人に頼ることに罪悪感をもってしまっているのだ。
2024.11.19(火)
文=秋谷 りんこ