当時の関心は、兄と同じ若年性認知症だった。高齢者の認知症に関心がなかったわけではないが、家族同伴でなければ会うのがむずかしかったこともある。かたわらで家族が代弁してくれるので話を聞くには楽なのだが、やはり認知症の人から本音を聞きたかった。その点、若年性認知症の人は単独でも語ってくれたのである。

 彼らは一様に「認知症になっても、私は私で変わらない」と言った。人格が崩壊してしまうかのような認知症観に染まっていた私からすれば、これだけでも衝撃だった。それでも私は、高齢者の認知症はまた別だと考えたのだ。声をかけても反応がなく、自ら話すこともできなくなったら、「私は私で変わらない」なんて言えないだろう、と。

 それを変えたのは出雲のデイケア施設「小山のおうち」だった。

 ここを利用するのは重度認知症の高齢者たちである。若くて元気な若年性認知症の人とはまったく違っていた。ここでは認知症の人たちがたくさんの「手記」を書き残していて、それをきっかけに、私は彼らの声に耳を傾けるようになった。

 重度の認知症の人にインタビューするなんて、もちろん初めてである。かといってマニュアルがあるわけでもない。私にできるのは、そこで働いているスタッフを観察させていただきながら、自ら試行錯誤することだけだった。

 出雲から始まって、東京、大阪、岡山、静岡、岐阜の各施設を介して重度認知症の高齢者たちにインタビューを続けていると、本当に突然だったのだが、「高齢者の認知症は病気ではないのではないか」と思ったのである。根拠があったわけではない。なぜそう思ったのかうまく説明できないのだが、彼らから何度も何度も話を聞いているうちに、老化とアルツハイマー病の境界線が曖昧でよく分からなくなり、病気という感覚がしなくなったのだと思う。そのときの印象は月刊「文藝春秋」(二〇一五年八月号)のレポート「認知症11人の『告白』」でこう書いている。

2024.11.12(火)