類が声を上げた。時計の針は五時を指している。店の外の景色はうっすらと赤みを帯びていた。

「すみません、すっかり話し込んでしまいましたね。そろそろ店じまいですか?」

「そんなことはどうでもいい。嵯峨野くん、君はもう帰らないと」

「へ? 僕はまだ全然。まだ五時ですよね?」

「いや、今日はハロウィンじゃないか」

 嵯峨野はあっけにとられた顔で店主の背中を見つめる。奇遇なことに俺も嵯峨野と同じリアクションをとっていた。

「類? 通りはそれほど混まないぞ、渋谷と違って」

「人混みなんかじゃなく、本物が交じり出す時間だろう? 暗くなる前に帰らないとだめだ」

「え、人混み? え?」

「本物?」

 類は俺と嵯峨野に向かって言った。

「だから……ハロウィンってのは西洋のお盆なんだよ。『死者が帰ってくる日』。仮装もなしじゃあ君は生者にしか見えない。……嵯峨野くん、お菓子は持っているだろうね?」

「いえ、持ってませんが」

「不用心な……!」

 類は奥の給湯室へ行くと、足早に戻ってきた。

 そして個包装のビスケットを三枚、嵯峨野に差し出してきた。

「悪いね、うちには今これしかない。これでなんとか家まで帰るんだ。健闘を祈るよ」

「あっ、くれるんですか? ありがとう、いただきます」

「君が食べてどうする。さあ急がないと」

 包みを剝こうとしていた嵯峨野だが、もはやなにも言えずに頷くしかないようだった。


「類のやつ、なんなんだいったい……」

 俺は宙をふよふよと飛びながら独りごちる。眼下を行く嵯峨野はのんびりと歩いていた。類がカリカリしていたので俺は黙って店の外へ出てきたのだが、なんとなく気になって嵯峨野を見守ることにしたのだ。

 まさかと思うが、「あの類が言うのだから」という想いもある……。

「みくさんって面白い人だな。あ、もしかしてイギリスってハロウィンが盛んなのかな?」

 嵯峨野は類の奇行をさして気にしたふうもなく、軽やかな足取りで町家に挟まれた道を歩いていた。人気の多い通りを行き過ぎ、仮装をした人々がいなくなると、誰もいないのをいいことに鼻歌まで歌い始めた。

2024.10.29(火)