「それより嵯峨野くん。撮影が終わったら、その『本の仕事』のことを詳しく聞かせ……」
類は言葉の途中で、戸口から顔だけ出していた俺に気づいて、立ち上がった。ガタン、という椅子の音に若者──嵯峨野というらしい──が振り返る。
「みくさん?」
「いや、なんでも。続けていてください」
類はすーっとこちらへ来て、硝子越しに外を眺めるふりをしながら囁いた。
「今日は帰ったほうがいい」
その唐突さに面食らう。彼は珍しく気まずそうな顔をしていた。
前髪の隙間から嵯峨野を見やる。わくわくした様子で笑みを絶やさずカメラに向かって喋る彼は、いやに眩しかった。
なるほど……確かに苦手なタイプではある。「ほうがいい」という言い回しに気遣いを感じた。
類も色々と思うところがあるのだろうが、嵯峨野くんに不自然に思われないよう俺に伝えるには、長々と言葉を重ねることはできないわけだ。俺は小さく鼻で笑う。
「大丈夫だ。生きていたら気まずかったかもしれないけれど、向こうには見えないんだから」
むしろ、自分と正反対の人間を観察できれば、新作のキャラクター造形にも活かせるかもしれない。
類はなおもなにか言おうとしていたが、俺が売り物の肘掛椅子に腰かけると、溜め息をついて戻っていった。
嵯峨野永太郎は近くの大学に通う学生だという。レトロな物や味のあるアート作品などが好きで、自らが見たそういうものをSNS上で発信しているそうだ。
彼が類に見せたスマホに表示されたアカウントを上から覗き込むと、フォロワーは十万人を超えていた。
「インフルエンサーってやつか」
「インフルエンサー、ね」と類が知ったように言う。
「あはは、そう呼ばれることもありますね。自分は好きなことをしているだけって感じなんですが、ありがたいことに今の事務所に声をかけてもらって……」
嵯峨野は照れたように白い歯を覗かせて笑った。ほんのりと明るい色に染めた髪がよく似合っている。背が高く清潔感があり、まるで若手俳優のようだった。類と並んで見劣りしない男性などそうそういないだろう。
2024.10.29(火)