開始線に立ち、頭を下げる。

「よろしくお願いします」

「お願いします」

 そして、順刀を構えた。

 ――何か変だと気付くのに、そう時間はかからなかった。

 足が伴ってねえぞ、姿勢が悪い、と声を掛けながら一合、二合と打ちあった時、最初の違和感を覚えた。

 雪哉は弱々しく体を小さく縮めるようにして順刀を構え、全く手元が堅いようには見えない。それなのに、隙だらけだと思って打ち込むと、その割に打突が全く入らないのだ。市柳が打ち込む度に、「ひええ」とか「うわあ」とか情けない声を上げているくせに、払う、受けるの動作に危なげがない。

 あれ、と思って一度引き、まじまじと様子を見ても、雪哉は怯えたようにこちらを窺うのみだ。

「……どうした。自分から打ち込んで来いよ」

 挑発すると、困った顔でへろへろと打ち込んできた。うまくそれを返して即座に突き込むも、ひょい、とかわされて剣先が空を切る。

 一瞬、呆然となった。

 今、自分は結構、本気で打ち込むつもりだったのに。

 雪哉は相変わらず、情けない顔でこちらを見ている。そして、どうしたんですか、とでも言うように首をかしげた。

 その目がどうにも、怪しく光って見えた。

 市柳は憤然と息を吐くと、今度は一切の油断なく、裂帛の気合と共に打ちかかった。

 市柳の態度が変わったとみるや、すっと雪哉の姿勢が伸びる。体から余分な力が抜け、重心が定まり、足捌きが一気に滑らかになる。

 もう、こちらを見上げる表情に、怯えは微塵も見えなかった。

 こいつ――と、頭に血が上る。

 市柳は全力で打ち込み、叩き、突くが、いずれも軽やかに払われ、流され、かわされる。

 こちらは本気で一本を取ろうとしているのに、あちらには何も届かない。しかも奴は、防ぐのに終始し、全く反撃しようとしないのだ。

 どんどん息が上がり、徐々に、腕が重くなっていく。

 口の中に血の味がして、視界がにじみ、汗が目に入ったのだと分かった。

 とうとう、渾身の力で振り下ろした一刀をがっつり受け止められて、動きが止まった。

2024.10.22(火)