だからこそ、紫式部についての史実と物語のギャップに違和感をもったのだ。

 しかし、大河ドラマ「光る君へ」を楽しむには、あまり史実を気にせずフィクションの世界観に入り込むのが一番である。紫式部と清少納言が親しく話すのも、「史実とは違う」ではなく、「そうだったらいいな」でいいのではないか。道長との恋もあくまでも、「まひろ」の話なのである。

 おもしろいことに、いままで、戦国ものだと時々しか大河ドラマを見ないフランス人の妻が「光る君へ」は毎回欠かさず見ている。

 

「光る君へ」にフランス人妻がハマる理由

 妻は日本語を話せるが、戦国ものだと、台詞がその時代の雰囲気を思わせる表現になっているのでわからないことが多い。だが、「光る君へ」では思い切って現代語にしている。まひろと道長の恋も、はじめから余計な知識がないのだからおかしいとは思わない。その兄に母を殺されたことも主人公の心の葛藤の要素でしかない。素直に物語に入っていけるのだ。

 それに、日本の視聴者はたとえば木下藤吉郎や井伊直弼がどういう人物かを知っている。大奥とか大老とか言われてもピンとくる。物語はその基礎知識があるものとして進行するので外国人にはわかりにくい。ところが、平安時代は、現代の日本人にとってもあまりにも遠い。学校でもあまり教えない。そのため、番組の中でも様々な形で説明される。

 もっとも、妻をひきつけているのは、なにより、「漫画で読んだ『源氏物語』の世界がよくわかる」のだとか。ありきたりな言い方だが、目前に展開される平安絵巻だ。

 ただ、最近は、「いつも同じような繰り返し」という。

 たしかに、いまは、もっぱら宮中の権力争いの話になっている。初めのころは、まひろが外を歩き、散楽師の直秀を通して庶民生活も描かれていたが、あっけなく亡くなった。

 そのかわり、着物の色の重ね方、立居振る舞い、女房達が几帳だけで区切られてまるでベッドが並ぶ学校の寄宿舎のように床に並んで寝ていることとか、何が書いてあるのかはわからないが文字の美しさだとかディテールを楽しんでいる。しかし、そういったディテールを楽しめるというのも、NHKの大河ドラマで、予算もあり、しっかり再現しているからだろう。そして、登場人物が「生きて」いるからだろう。

2024.10.19(土)
文=広岡裕児