ディープな音楽ファンであり、漫画、お笑いなど、さまざまなカルチャーを大きな愛で深掘りしている澤部渡さんのカルチャーエッセイ連載第10回。今回は実家を離れて初めて住んだ「ほどよい街」上石神井の、中華料理店にまつわる素敵なお話です。
2013年、実家を出て初めて住んだのは練馬区の上石神井という街だった。あるきっかけがあって、友人らと一軒家を借りて住むことになったのだ。内見のあとの帰り道の「ああ、きっとこの街で暮らすんだろうな」というあのワクワクは今でも胸に残っている。暮らしにも慣れ始めた頃、この街を通り過ぎたことがある、と思い出した。
15歳ぐらいだった2003年頃、高島平の実家からバスを乗り継ぎ、吉祥寺まで出たことがある。吉祥寺へ行く目的はココナッツディスクでレコードを買い、当時まだ全然店舗数がなかったgraniphでTシャツを買う、というもの。いい背伸び。東京は縦を繋ぐ電車がほとんど走っていなくて、23区の北の外れである高島平から、23区を南に飛び出した吉祥寺に行くには、巣鴨から新宿に出て、そこから吉祥寺、という1時間ぐらいかかる大袈裟なルートしかない。しかし、縦を繋ぐ路線バスが東京にはいくつも張り巡らされていて、自宅→成増、成増→吉祥寺というラインがあることを家族に教えてもらった。せいぜい100円ぐらいしか差額はなかっただろうに、私は「往復で200円も違うじゃん!」と移動時間を差し出し、90分ほど、バスに揺られることにしたのだった。音楽を聴きながらうとうとと車窓を眺めていたのだが、ある時(「バスは広い道を通る」と信じて疑っていなかった当時の私からすれば)驚くほど細い道を通り、八百屋と窓がこんなに近い……!と強い衝撃を受けたことがあった。あの場所が一体どこだったかなんて10年間記憶にフタがされていたのだが、(実際はそこまでひどく狭い道ではなかったこともあって)「あっ、あの時の狭いと思っていた道って上石神井駅前のここじゃん」と思い出したのだった。
上石神井はほどよい街で、スーパーも飲食店もほどよい。北口をしばらく行けば最高のカレー屋「ふんだりけ」があり、南口には“カレー界の二郎”と囁かれることもある名店「analog.」もある。「一圓」といった町中華もあるし、青梅街道まで出れば「梁山泊」だってある。どの店も大好きで、これらの店は過去には人にも勧めてきた。しかし今回書きたいのはこれらの店ではない。むしろ、今まで人にはあまり積極的に勧めてこなかった、「閻有記」という店のことだ。
2024.08.22(木)
文=澤部 渡
イラスト=トマトスープ