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私と親の「正解」が違うとき

 もし、私だったら……と考えました。母はなんとか納得してくれるだろうけれど、父は施設に入ることを絶対に嫌がるだろうなあ。嫌がるのに無理をして入ってもらったら、私はきっと罪悪感を抱いてしまうんだろうなあ。頭では理解していても、自分の身に置き換えてみると、そうは簡単に心を切り替えることはできなそうです。

 でも、もし両親どちらかがひとりになって、生活がおぼつかなくなったとき、私がまた行ったり来たりすると、いつ終わるかわからないその状況に、自分を消耗してしまいそう。安心して24時間きちんとケアしてもらえる環境を整えた方がいいのかな? 私にとっての「正解」と、親にとっての「正解」が違うとき、どうやって、ふたつを擦り合わせたらいいのでしょう? 考えれば考えるほど途方に暮れてしまいます。

 最近、大河ドラマにハマって、アマゾンプライムで『鎌倉殿の13人』や『西郷どん』など、過去に遡って見ています。今は、福山雅治さん主演の『龍馬伝』を見ている最中。大森南朋さん演じる武市半平太は、「攘夷」という理想をかかげ、「土佐勤王党」を立ち上げます。外国人を討ち日本を守る。そのためには朝廷を動かさなければと、邪魔をする者は切り捨てもします。一方龍馬は、土佐藩という枠を飛び出し、日本が外国と対等に渡り合うためには、どうすればいいのか? と悩み、その方法を模索し、半平太と衝突するようになります。幼馴染で仲良しだったのに、共に日本のことを真剣に考えているのに、ふたりの「正解」はそれぞれ違う……。

 でも、ひとつ言えるのは、半平太は自分の「正解」が絶対だと思い込み、その外側に、もっと違う正解があるのに見ようとしない。一方龍馬は、いろんな人の「正解」を拾い集め、並べてみて、「ちょっとしっくりこない」「わからない」と、自分が腹落ちできるまで、正解を求め続けていた、ということです。

 自分の人生に、唯一無二の「正解」をセットしてしまったとたん、人は苦しくなってしまうのかもしれないなあ。「他にまだ答えがあるのかもしれない」と探し続けることで、そこに違う見方があると知り、世界は多様だと知り、もうひとつの「正解」を見つける可能性を手に入れる……。

 隅々まで掃除が行き届き、笑顔いっぱいのスタッフの常駐する特別養護老人ホームの面会室で、ちょっとおめかしした藤澤さんのお母様と、ご夫婦の撮影をさせていただきました。取材を終えた後の帰り道。夫の緑朗さんが「これでよかった、と思っています。でも『じゃあ、またね』と別れるとき、『ああ、寂しいのかな? やっぱりかわいそうだったかな?』と毎回心が揺れるんですよね」とぽつり。

「正解」が揺れるのは、そこに優しさがあるからなんだと思います。「これでいい」とフィックスさせてしまった方がラクなのに、「これでよかったのかな?」と相手に心を寄せるから、今まで「正しい」と信じようとしていたことがぐらりと揺れる。だとすれば、正解を見つけることだけが、ゴールではないのだと、いつまでも揺れ続けてもいいのだと思いたくなりました。

両親の老いを受け止めることはつらいけれど、介護に正解はない、と知ることも大事。誰かに頼ることに罪悪感を持たず、自分を消耗しないという視点も忘れたくないもの

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2024.06.04(火)
文=一田憲子