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自分自身の「老い」を両親から学ばせてもらっている

 その後、いいお医者様に出会い、ブロック注射を受けることになってやっと痛みがおさまりほっとしました。さらに要支援2の介護認定を得て、週2回ヘルパーさんに来てもらうようにもなりました。私は、日々の家事の軽減化大作戦を実施。雑巾の代わりに掃除用のウエットシートやクイックルワイパーを買ってきました。雑巾を絞る力がなくなってきても、ウエットシートなら使い捨てにすることができます。

 今では、母はそんなグッズを上手に使い、なんとかひとりで掃除を続けています。ゆっくりで時間はかかるけれど、大雑把な私よりもずっとひと拭きひと拭きが丁寧なので、再び一田実家は、我が家よりよっぽどきれいな状態となりました。

 『親不孝介護 距離を取るからうまくいく』(日経BP)という本を書かれた川内潤さんが、こんなふうに語られていました。「心理的に子どもにとって、親はいつでも帰れる安全地帯なんです。親の老化は『自分の安全地帯』が崩れていくのを目の当たりにすることになる」(『日経クロスウーマン』)。なるほど、その通りだなあと思います。

 病気になったり、体に不具合が出たり、体力がなくなったり。親の老いは子供にとって「初めて」のことばかりです。だから、ことが起こる度にオロオロしたり、心配したり、不安に押しつぶされそうになったり……。初めてのプチ介護から2年。いろんなことがあったけれど、ひとつクリアする度に、ひとつ学ぶ。そんな繰り返しだなあと思います。そして、そんな両親の姿は「老いる」とはどういうことなのかを、見せてくれているようで、私は自分自身の「老い」を両親から学ばせてもらっている気がします。

 『おへそ』の取材に協力くださった藤澤ご夫妻は、それぞれのお母様を自宅のすぐそばに呼び寄せて、食事や通院のサポートを続けてこられたそうです。でも、認知症が進んだり、高齢でひとり暮らしが難しくなったりで、お母様ふたりに別々の高齢者施設へ入ってもらったばかりです。相談にのってもらっていたホームドクターに、「罪悪感をもっちゃダメ。自分たちの暮らしを大事にしないと立ち行かなくなっちゃうよ」と言われた言葉が大きな支えになったのだとか。

2024.06.04(火)
文=一田憲子