この記事の連載

 創業は1971年、ランチタイムの行列はもはや骨董通りの日常風景、幅広い世代から愛され続ける店、東京・南青山の「中華風家庭料理ふーみん」。数々の名物料理が生まれたその厨房で約45年にわたり腕を振るったオーナーシェフの斉風瑞(さいふうみ)さんは“ふーみん”“ふーみんママ”の愛称で親しまれてきました。

 「ふーみん」を70歳で勇退し、現在は神奈川県川崎市の新たな拠点、「斉」で1日1組のお客様をもてなすふーみんさんを訪ね、「ふーみん」と“ふーみんママ”の約50年の食の歴史を中心に新天地でのこれからについて、そして、創業50周年を記念したドキュメンタリー映画についてお話を伺いました。生涯現役でありたいと願うふーみんさんの今、そしてこれからとは?

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女性が自分の店を持てる職業は、美容師くらいだった時代に

1946年2月15日、東京・中野で台湾人の両親のもと、四姉妹の長女として生まれる。中学生の頃には仕事で台湾と日本を行き来して忙しかった両親に代わり、きょうだいのお弁当や食事も作るようになる。

斉風瑞 なんとなく、ごく自然に料理をするようになりました。両親が作ってくれた料理を真似して、自然体で作っていたように思います。レパートリーは決して多くはありませんでしたけれど、我が家の定番的な料理、例えばイカを茹でてニンニク醤油で食べたり、お弁当にはひき肉の卵とじとか、日本の食材を使った台湾の家庭料理ですね。初めてキャベツの炒め物を作ったときに焦がしてしまったのを覚えています(笑)。

1963年、17歳のときに、両親の故郷である台湾を初めて訪れる。このときに食べた「油葱鶏(ユーツァンチイ)」の美味しさに感動。この感動が、のちに熱い油をジュっとかける「ねぎそば」「ねぎワンタン」の誕生につながる。そして、高校卒業後にハリウッド美容専門学校に入学する。

斉風瑞 台湾を初めて訪れた17歳の頃は、お料理にはあまり興味はなかったと思いますが、食べることは大好きでしたね。

 そのだいぶ前、小学校高学年くらいの頃には、何かしら自分のお店を持って独立したいと思ってました。きっと、父が何をやっても失敗する人で、母の苦労を見ていたから早く独立したいという気持ちが強かったんだと思います。

 当時、女性が自分の店を持てる職業といったら美容師くらいでしたから、専門学校で資格をとってインターンもしました。でも、私は人見知りするタイプ。だからお客様と1対1の美容師という仕事は自分には向かないと感じていたんですね。だとしたらいったい何ができるんだろう……と、悩んでいたときに家に遊びにきた友人たちに夕食を出したところ「こんなにおいしいものを私たちだけで食べるのはもったいないわね!」って。

 きっと、友人は“ごちそうさま”の意味で言ってくれたんだと思いますが、この友人のひとことで「そうだ、私、飲食の仕事をしよう!」って思ったんですから言葉って大事ですね。

2024.05.31(金)
文=齊藤素子
写真=榎本麻美