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最初の看板は「中華風スナック」だった

1971年11月、25歳のときに東京・神宮前、キラー通り沿いのビルの地下に「中華風家庭料理ふーみん」をオープン。

斉風瑞 母は、私が一度言い出したら何を言ってもきかないということをよくわかっていたので、賛成して協力してくれました。友人たちの協力もあって7,95坪という小さな、小さな店を開業することができたんです。

斉風瑞 お店で出す料理のイメージは小腹が空いたときに食べられる軽めのものでした。だから、最初は確か「中華風スナック ふーみん」としていたんじゃないかしら。私はラーメンが好きなので「ふーみんそば」、「ねぎそば」、「うま煮そば」、そして、「茄子のにんにく炒め」をはじめとする我が家の定番料理などが最初のメニューでした。

 実は、春巻きの皮のような生地に肉や野菜など好きなものを挟んで食べる「春餅(シュンピン)」という台湾のおやつも出したのですが、これは早すぎたのか残念ながらウケませんでした。

 お客様のあらゆるリクエストに応えて、お味噌汁や焼き魚、作ったことのなかったチャーハンなんかも作っていました。今にして思えば、よくあんな恐ろしいことをやっていたなと(笑)、若さの強みですね。作ったことのない料理は、きっと料理上手だった父が料理するところを何気なく見ていて記憶に残っていたんじゃないかなと思います。

 お店を出すことに即、賛成してくれた母の協力にもすごく助けられました。私がお店を始めたことに刺激されて、母も料理を作りたくなったみたい。お友達に聞いたり、台湾で食べたものを母なりに研究して協力してくれました。「あさりのにんにく醤油漬け」を作って持ってきてくれたりして。

和田誠と灘本唯人が週3日で来店

神宮前・キラー通り付近には名だたるアパレル会社やデザイン事務所があってクリエーターたちが集まっていた。「ふーみん」と同じビルにはイラストレーター・灘本唯人の事務所があり最初の客に。店の看板メニュー「ねぎワンタン」「納豆チャーハン」はこの小さな店で誕生した。

斉風瑞 最初のお客様はイラストレーターの灘本唯人先生でした。灘本先生と仲良しの、当時はまだ独身だった和田誠先生も事務所が近くだったので週に3日はいらしてたと思います。「いらっしゃいませ」っていうくらいでほとんど会話することはなかったんですけど、ある日、和田先生が「ねぎそば」を召し上がりながら「これ、ワンタンでやったらどうかな」って、ポツリとおっしゃって。そのときはあまりピンとこなかったんですけど、面白そうだからやってみようかなって作ってみたらすごくおいしかったの。それでメニューに加えたんです。今や、ほとんどのお客様が注文される人気メニューです。

 同じビルには「ニコル」の松田光弘先生の事務所もあってよく出前に伺ったんですよ。

 納豆のメニューもこの店で生まれました。実は私、納豆にはぜんぜん興味がなかったんです。でもある日、私と同世代の常連さんが「納豆のおいしい食べ方知ってる? 肉と炒めるとおいしいらしいよ」っておっしゃって、でも、具体的な作り方はご存知なかったんですけれどね。そのお話を聞いて思い出したのは台湾で食べた鳩のひき肉を炒めてレタスで包んで食べる料理。

 さっそくひき肉と納豆を炒めてレタスで包んでみたら、すごく美味しかった。こうして「ひき肉と納豆炒め(レタス付き)」もメニューに加わったわけです。それを召し上がったお客様が「これ、ごはんにかけてみて」っておっしゃって、やってみたら「うん、これおいしい。メニューに入れよう」って、お客様が決めたの(笑)。さらに「チャーハンもいけるんじゃない?」ということで「納豆チャーハン」もメニューに。こんなふうにして、少しずつメニューが増えていきました。

 誰もやってないことをやるのが好きなんです。だってその方が面白いでしょう。

2024.05.31(金)
文=齊藤素子
写真=榎本麻美