石黒氏は後年、伊藤蘭本人に直接インタビューする機会を何度か得ている。同時代に生き、「ステージに立つ側」だった伊藤蘭からはこんな言葉を引き出した。

<あの頃は、なんだろう、熱いですよね。温度がいまの若い人と全然違う。自分にとっても激流の時代だったかな。自分もその流れのなかにいる感じで。>(『週刊昭和34号』朝日新聞出版、2009年)

 聞き手をつとめた石黒氏が振り返る。

「ああ、やはりそうだったのかと。僕自身、なぜあそこまで熱くなれたのか……言葉で明確に説明するのは難しいですが、自分への血判状みたいなものだったのかなと思います。そして、ここまで好きになって、ここまで青春を賭けてきたのだから、解散した後も永遠にそんな自分を絶対に裏切っちゃいけない。ずっとそういう気持ちで生きています」

 石黒氏の腕には、いまもかすかな傷跡が残っている。高校1年の夏休み、カッターで右腕に刻んだ<RAN>、そして左腕には<キャンディーズ>。血盟団と化した青年の誓いはその後、いささかも揺らぐことはなかった。

「全キャン連」を復活させた男性が“キャンディーズ再結成”を望まなかったシンプルな理由「僕はむしろ絶対にイヤでしたよ」〈紅白で話題〉〉へ続く

2024.02.18(日)
文=欠端大林