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「あとはやらない」

──ソフトウェア業界ではそうかもしれません。ただいわゆる「日本型組織」の企業では、案件をたくさん抱える人や、同時に複数のタスクをこなせる人が「優秀」だと評価されます。

 でも10個をそつなくこなすより、ひとつにフォーカスしてやったほうが絶対に高いパフォーマンスが出せるじゃないですか。

 そもそも人間の脳って、マルチタスクには向いていないんですよ。

 ワシントン大学の分子発生生物学者ジョン・メディナ氏によると、人間はマルチタスクにより「生産性が40%低下」「仕事を終えるまでにかかる時間が50%増加」「ミスの発生が50%増加」するそうです。つまり、「マルチタスク」はどんな人にとっても生産性が悪いので、会社の業績を考えても、マルチタスクを推奨するのは間違いなんです。

 一見マルチタスクに見えるパソコンだって、基本的にCPUのコアが同時にやっているのはひとつの作業なんですよ。起動しているソフト(仕事)は複数あったとしても、脳(CPU)のリソースはそのときどきでひとつのことに使うほうが絶対に高い生産性を生むことができます。

──その「ひとつ」を選ぶために、どう優先順位をつけたらよいのでしょうか。

 会社員だったら、「会社にとって一番インパクトの大きいもの」を選ぶのが正解でしょうね。

 僕も以前、プログラム的に難しく自分の経験値が向上する案件と、プログラム的にはそれほど難しくないけれどアプリケーションのスピードが40倍に向上する案件を同時に抱えたことがあります。

 優先順位をつけて両方やるつもりだったのですが、僕は周りと比べても実装が遅いほうだし、何をやっても不器用で時間がかかってしまうので、メンターのクリスから「会社にとってインパクトの大きな案件にフォーカスしたほうがいい。会社の業績に貢献できるし、ツヨシの評価にもつながる」と言われ、後者だけに絞りました。結果的に会社からもクライアントからも大変喜ばれ、僕の評価アップにもつながりました。

 日本だと一般的に「優先順位をつけて、上から順番にやっていこう。でも時間が許せば全部実施したい」と考える人が多いと思いますが、「一番重要な1個をピックアップして、あとはやらない」という癖をつけると、時間がないときもポイントを外さないで仕事をまわせるようになるのでおすすめです。

 もちろん、すべてのケースで「ひとつだけにフォーカス」ができるわけではありませんが、その場合はこれを3回繰り返せば3つピックアップできますから。

──「それでは納期に間に合わない」ということもあると思いますが、この「納期」に対する考え方も日本とアメリカでは大きく異なるそうですね。

 はい。日本では「納品」というと、予定された機能がすべて搭載された製品を、予定された品質で納めることを示しますが、アメリカでは期日通りにリリースしていても中身が予定より少ないなど、「納品」への考え方が柔軟なんです。

 とくにソフトウェア開発の場合は、予想通りにいかないことが非常に多いので、「納期絶対」の神話はありません。バックログ(今後やるべきことリスト)と大きな予定だけは押さえつつも、間に合わないものは次のリリースに回したり、特定の機能を削除したりして対応しています。進捗の実績で状況判断し、一番重要なものが搭載されていればよいという考え方から、「無理して機能を完成させなくていいから、インパクトの高い品質のよいものをつくろう」とマネージャーからも言われます。

 ただし、オリンピック用のアプリなど、絶対にデッドラインを割りたくない案件に関しては、シンプルに早く始めるか、すでにテスト的に動いているものを正式にリリースするなど、納期を固定してスコープ(提供する物量)を変動させる場合もあります。

2024.01.24(水)
文=相澤洋美
撮影=三宅史郎