この記事の連載
- 『ソーシャルジャスティス』より #1
- 『ソーシャルジャスティス』より #2
誰かが苦しむ様子は黙って見ていられない
アメリカやスイスで過ごしたことで、多様性、多文化、そして人種差別を経験しました。ヨーロッパはアメリカ以上に白人至上主義の伝統が残っており、アジア人は馬鹿にしていい対象というような扱いを頻繁に受けました。同い年くらいの子どもたちに公園で囲まれて、ドイツ語(スイスの公用語の一つ)が話せないアジア人であるという理由で唾をかけられたこともありました。
人種差別の経験を経て日本に帰国したときには、小学校でのいじめが気になりました。小学校の文集で友人から寄せられたメッセージを見てみると、クラス内でいじめられている子がいたら、私が必ずその場でいじめっ子を止めたことや、仲間はずれにされた子に積極的に声をかけたりしていたことを書いてくれた友人が多く、実際理由のない偏見や差別、いじめといったものの無意味さに関してホームルームの時間に演説したこともありました。
人は、他人に完全に理解してもらえていると錯覚したり、理解されずに悩むこともあるものですが、実は理解されるためには努力しなければいけないということも、この変化に富んだ幼少期に学ぶことができた気がします。異文化を経験し、各国の常識の違いを体感する中で、周りからの期待に応えるのではなく、私自身はどのような人間になりたいかということもよく考えました。
また、私は幼い頃から科学が大好きでした。保育園の頃、分子生物学者の父が私を寝かしつける際、ヨットはどのように風の力を使って前に進むのか話してくれたのを覚えています。
小学生の頃にはリチャード・ドーキンスの『遺伝子の川』(草思社文庫)という本の内容を、ところどころ要約して聞かせてくれました。高校時代の生物の授業でプランクトンを探す課題が出されたときは、放課後も顕微鏡でプランクトン探しに熱中し、見つけた一つひとつをスケッチしました。その課題をこなす中で、偶然ミドリムシの分裂の瞬間を目にし、何千万年も繋がる遺伝子のリレーの中で新しい個体が誕生した瞬間を目にしたことに感動し、なんだか天から光が降りてきたような心地がしたのを覚えています。
高校2年生の夏休みにはアメリカの大学が主催した女子高校生のための科学プログラムのサマーキャンプに参加し、犬のロボットを作製しました。このサマーキャンプを通じて科学的な探究と創作の楽しさに目を開かされ、科学への思いを再認識した私は、科学を通して人間を理解し、人間と社会を支える医師になろうと決意しました。
科学が大好きでソーシャルジャスティスの意志が芯にある私は、科学が軽視されることにより、誰かが苦しむ様子はどうしても黙って見ていられません。日本のワクチン忌避を放っておけなかったのもそのためです。
ソーシャルジャスティス 小児精神科医、社会を診る
定価 1,122円(税込)
文藝春秋
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2024.01.12(金)
著者=内田 舞