父との旅の思い出は、東北から南九州まで広範囲にわたる。もっとも記憶に残っているのは山形の旅だ。二〇一四年の夏、父は小説講座の講師として山形に招かれた。福岡から山形まで飛行機の直行便はない。私たちは、まず宮城県の仙台空港に向かい、そこからレンタカーで月山を越えることにした。父はどちらかと言うと、運転が得意ではない。このときも後部座席で、ゆらりゆらりと頭を動かしまどろんでいた。

 山形に到着すると、担当編集者のKさんが出迎えてくれた。Kさんの案内で書店のサイン会を終えてから、小説講座の会場に向かう。この講座の講義録は『読書の森で寝転んで』(文春文庫)に収録されている。講座を終えた夜は関係者のみなさんと地酒を楽しみ、へべれけになってホテルに戻ってきた。

 九州男児らしく二日酔い知らずで、翌朝は早くから元気に斎藤茂吉記念館に赴いた。ロビーに設置された朗詠機からは、茂吉の力強い肉声が聞こえてきた。目を瞑(つぶ)って聴きながら父は、

「詩は目で読むだけでなく、声に出すことで命が吹き込まれる」

 と教えてくれた。なるほど、と感動し、勧められるまま『赤光』(新潮文庫)を買い求めた。

 さらにレンタカーを走らせ、鶴岡市の藤沢周平記念館を訪れた。ガラス張りの綺麗な建物で、著作本が並べられた本棚の展示は圧巻だった。再現された書斎の前で、父は作家としてどうありたいかを静かに語った。

 最終日は飛行機の時間まで余裕があったので、鶴岡市立加茂水族館まで足をのばした。父と水族館に行くのは二十年ぶりだろうか。幻想的なクラゲの水槽に見入る私の隣で、早く帰りたいオーラを醸し出す父。クラゲと一緒に撮った父の表情は、実に退屈そうだった。

 曙光を旅する中で撮影された父のまなざしは、しっかりと自分の進むべき道を見つめている。旅の中で見たいものを見て、会いたい人との縁(えにし)を結ぶことができたからだろう。

 父とはもう六年も会っていないが、きっと今もどこか旅に出ているに違いない。

 葉室麟を曙光の旅に連れ出してくださった佐々木さんをはじめ、本書の制作に携わってくださったすべての方に、心から御礼申し上げます。

 本書を読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。

二〇二三年十月

曙光を旅する(文春文庫 は 36-17)

定価 880円(税込)
文藝春秋
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2024.01.05(金)