そういえば先に少し触れた「妖怪探偵・百目」シリーズも、微妙なバランスを保って一つの町で暮らしている妖怪と人間が、巨大な敵に立ち向かうため、手を取り合う。本書の「白狗山彦」でも鬼の式神が、

「鬼は人ができぬことをする、人は鬼ができぬことをする」

 といっている。異なる存在でも分かり合い、協力し合うことができる。そんな世界であってほしい。作者が本書で伝えたいメッセージの一つは、これだと確信しているのである。

 さらにいえば、分かり合うのは物の怪と人間だけではない。人間同士も、同じことがいえる。それを象徴しているのが、律秀と呂秀だ。法師陰陽師といっても、いろいろな違いが二人にはある。律秀は薬師でもあり、物事の理にこだわる。「都人」で書かれている、

「呪いに必要なのは手順を守ることである。やり方を間違えなければ、理によって魔は退く。手順を学び、使い方さえ正しければ、物の怪は自然に退くのである」

 というくだりは、律秀の法師陰陽師としての在り方を、よく表している。

 一方の呂秀は、幼い頃から物の怪の姿を見て、声を聞くことができた。最初から法師陰陽師としての、強力なアドバンテージがあった。しかしある時期までは、自分が他の人と違うことを悩んでいる。また、兄に比べると人間としては未熟だと思っている(そういう兄も、自分が半人前だと思っている)。それぞれに抱えているものはあるが、兄弟の仲は良好。「二人静」の舞手や、「光るもの」の木の精のように、律秀と呂秀も、互いを助け合い、支え合う存在となっている。そう、ここに描かれているのは、人と人、人と物の怪が支え合う世界なのだ。だから兄弟は物の怪を祓わない。人と物の怪によって生まれるのは、時に切なく、時に幸せな空間なのである。

 さて、本を閉じた後、もっとこの世界に浸っていたかったと感じた読者は多いはずだ。安心してもらいたい。本書の刊行と同時期に、シリーズ第二弾『播磨国妖綺譚 伊佐々王の記』が刊行される。「都人」から登場し、「八島の亡霊」で愉快な姿を見せてくれた有傅が、播磨に派遣された理由は、本当に天文観測のためだけなのか。一年ほど先に都の方まで含まれる、大きな出来事が起こるという予言は、何を意味するのか。さらにいえば、かつて蘆屋道満が都に行ったとき、何が起きたのか。都の陰陽師と、播磨の法師陰陽師の、これからの関係も気になる。あれこれ考えると、このシリーズは、さらに大きな物語になりそうだ。その渦中で、兄弟がどのように躍動するのか。実に楽しみでならないのである。

播磨国妖綺譚 あきつ鬼の記(文春文庫 う 35-2)

定価 825円(税込)
文藝春秋
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2024.01.04(木)
文=細谷 正充(書評家)