「雅子さまの状態は本当に深刻でした。目が虚ろで、表情にも力がなかった。母親の優美子さんも一緒に別荘に滞在していたのは、雅子さまから少しも目を離せない、危険な状況だったからです。その間、皇太子は東京から別荘を訪れていますが、ほとんど近くのホテルにお一人で滞在された。お二人の『離婚』の危機が囁かれたのもこの頃でした」

 皇太子が軽井沢から帰京していたある日の夜。御所の一室で、天皇皇后両陛下と、紀宮さまと共に食事をされた。天皇が席を立ち、御所のベランダに出ると、雰囲気を察した紀宮さまも後に続き、食卓には皇太子と美智子さまの2人だけになった。「その瞬間、皇太子は美智子さまの手を握り、涙を流された」(宮内庁関係者)という。おそらく雅子さまの窮状を訴え、理解を乞われたのだと思われる。

「雅子には依然として体調に波がある状態です。この10年、自分を一生懸命、皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが、そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」

 いわゆる皇太子の「人格否定発言」が飛び出したのは、その年の5月の会見でのことだった。この発言に皇室には激震が走った。

 慌てた宮内庁では、皇室医務主管の金澤一郎氏が奔走し、翌6月に、精神科医の大野裕氏が雅子さまの主治医となり、水面下で本格的な治療が始まっている。7月には雅子さまのご病気は、世間では耳慣れない「適応障害」であると発表された――。

本記事の全文「雅子さま還暦『内なる戦いの30年』」は、「文藝春秋」2024年1月号、および「文藝春秋 電子版」に掲載されています。

2024.01.03(水)
文=「文藝春秋」編集部