「リハーサルを再開してからも、1曲目から歌おうとして歌えなかったものね。歌い出しの『君のために ありふれた 明日だけを願う』も、全部の言葉も、あまりにストレートだからさ、ずっと以前に書いた歌があんな感じで跳ね返ってくるとは思っていなかった。初日は、これでいいんだというものを確信したいという気持ちが強かったな。でも何にも関係なく、楽しくやるんだというのもあった。俺ばかりが気張っても仕方ないし、気持ちがチグハグにならないようにね。とにかく自分の思いを伝えようという、そこが一番にあったね。思っていることは全部伝える。それを毎日、毎日考えていたな」

 小田は1曲目の「明日」を歌ったあと、あの日以降の自分を静かに語った。長いMCだった。そして最後の曲の前には「僕はぜひとも日本が復興していくのを見たいので……身体に気をつけて長生きしたい」とも語った。そんな言葉が大げさに感じられないほど、被災地でなくとも、当時、日本人の多くは打ちのめされていた。

歌えなくなる場面もあった

 最後の楽曲は、約1年前に映画「ロック~わんこの島~」(2011年7月公開)の主題歌にと頼まれ作った「hello hello」だった。映画は三宅島の噴火時の少年一家と犬の物語であり、少年に語りかける歌はやはり震災後の状況のなかでシンクロして響き、小田自身も歌えなくなる場面もあった。

 

 こうして、2011年、小田の全国ツアーは粛々と始まり、10月26日まで、東北地方を除いた地域で行われた。5大ドームも含む25カ所48公演と、大規模なツアーだった。しかもこのツアーから、バイオリン、ビオラ、チェロなどストリングスの面々も全行程帯同することになった。

 どの会場も、驚くほど静かな熱気に覆われていた。

 当時、私は、いくつかの会場で感じた印象を雑誌「AERA」に書いている。少し引用する。

 今回、ツアーを見てきて、改めて感じるのは、小田和正の歌の力である。その歌がもつ包容力といってもいい。小田の歌は時代の色や匂いを感じさせないと言われてきた。しかし2011年のいま、小田の歌は、なんと心に強く優しく沁みてくることか。時代が小田の歌を必要としている、そんな気がする。四国のイベント会社デュークの宮垣睦男社長は、長野の初日からいくつもの公演を見てきて語る。

「ほとんどのお客さんが涙を流している。それを見て、本人もぐっと感極まってしまってね。たとえば『今日も どこかで』、前回のライブであれほど聴いていたのに、僕には違う曲に聴こえてしまって、この状況にまさにストライクにはまってしまった。すごい曲だねと本人にメールしたんですね。みんなそれぞれにストライクになる言葉があるんですよ。リタイアした人もいっぱいいるし、若い人もいっぱいいる。それぞれに響く歌があるんでしょうね。お客さんの異常な熱気というか、こういうコンサートはあまりないです。

「自己完結」から「人に手渡す音楽」へ

 いつのことだったか忘れたが、「小田和正の歌はどの時代に突出しているか、“時代の歌”になっているか」といった雑談を吉田雅道としたことがあった。私の念頭にはどうしても1970年代の拓郎や陽水がいて、では小田和正の歌は、どの時代にとりわけ必要とされた(る)だろうかと思ったのである。ファンの人にとっては、それはずっとであって、無意味な設問なのは十分承知だが、会場でその時の会話を思い出し、そうか、小田和正は現在、21世紀、2000年を超えてから、さらに一層、人々から、時代から、必要とされているのではないか、そう感じたものだった。

2023.11.26(日)
著者=追分日出子