全体構想を重視するよりも、細部からの継ぎ足しによってつくっていくのは、ジブリではお馴染みの手法です。宮﨑駿の映画のつくり方はまさにこれで、全体像を描かないまま進んでいきます。描きたい細部やシーンが先に決まり、そこから派生して作品全体を築いていくのです。

「こんなふうにしろ」「それは無理だ」と1週間ケンカが続いた

 全体よりも細部が先にあるという観点から見れば、ジブリ美術館も同じです。あれは宮﨑駿の作品世界を具体化しようという仕事でしたが、計画段階で宮﨑駿は、設計士が書いてくる平面図をとことん否定していきました。本当に、めちゃくちゃなんですよ(笑)。

 たとえば、図面からはみ出して上書きし、設計上の矛盾が生じることなどおかまいなしに『こんなふうにしろ』と言ってくる。それは無理だ、そもそもうちの敷地をはみ出していると指摘しても、『そこをなんとかするんだ』ときかず、1週間くらいケンカが続いたりしたものです」

 

 スタジオジブリにおける宮崎吾朗の仕事は、空間づくりに留まらない。『ゲド戦記』、『コクリコ坂から』、そしてフル3DCGでつくられた『アーヤと魔女』。監督として、3本の長編映画を手掛けた。これらの映画づくりと、ジブリパークをつくることは、異なる体験なのかどうか。

映画づくりで感じるプレッシャー

「映画づくりとパークづくりは、仕事のありようとしては近いものがあります。ただし、パークづくりのほうが自分にとってずっと楽しい。

 おそらく映画だと、感じるプレッシャーが全然違うからでしょう。

 ジブリで映画をつくるとなると、やはりその看板を強く意識せざるを得ません。スタジオを立ち上げジブリのイメージを築いてきた宮﨑駿の存在感は、スタジオ内部においても当然ながらたいへん大きい。その人間がまだ現役でいる状況下、ジブリで何かつくるというのはかなりしんどいこと。僕にかぎらず、ジブリで宮﨑駿以外の人間が監督をやれば、プレッシャーが半端ないことになってしまう。

2023.11.16(木)
文=山内宏泰