本書は科学、生命、言語に焦点を当て、時には文系的思考マイナス理系的思考、また時には理系的思考マイナス文系的思考という引き算を互いにしあいながら、視点のずれを起こすことで文系のセンス、理系のセンスを際立たせている。この方法が文系的思考と理系的思考の掛け算を創発したかどうか、読者の評価を待ちたいと思う。本来、人はこの両方を併せ持ち、時に脳内で火花を散らせながらその人独特の思考方法を身につけているものだ。今の日本ではこの二つがあまりにも分かれすぎ、だからやたらと文理融合の必要性が叫ばれる。問題はその方法論の方なのだと思う。そう、本書の対話では「方法」ということにこだわってきた。そして、言語と隠れた意識の関係を中心にして編集工学の方法論が初めて明かされ、生命と情報に対するカオス的解釈の方法論が明かされたのだった。
そういえば、物事には「際」というものがある。姿かたちを変える手前の際は不安定であるがゆえに多様で複雑な構造を内包することができ、生命的なるものの源になるのだ。本書はそれぞれの専門性を常に際においてきた二人が紡ぐ際をめぐっての対話でもある。お楽しみいただけただろうか。
松岡さんとの対話で暗黙の了解としてたがいに触れることを避けてきた問題がある。まだ「際」になっていないと感じたからかもしれない。昨今、世間で話題になっているChatGPTなどの生成系AIである。この問題は脳、言語、情報、生命、人類、地球、宇宙などと大いに関係するテーマだが、この対話では科学、生命、言語の深さを追求することにした。しかし、生成系AIの話は言語と意識の問題とも絡む話なので、このあとがきで少しAIと人のあるべき関係について補足的に触れておきたい。
私がChatGPT(GPT3.5)に人の言語学習とAIの言語学習の違いについて指摘すると、自らその違いを認め、AIには意識がないこと、意味を理解して使っているわけではなく単に隣接する単語の出現確率をもとに統計的に学習していることなど(既によく知られていることではあるが)正確に返してきた。意識を持たず、意味を理解せず、ただ確率的な学習を行うだけで、十分会話が成立することにむしろ私はデーモン的なものを見た。まさにゾンビが十分に機能し人社会に入り込みつつあるのだ。AIの今後の発展を見据えながら、さらに議論を深めなければならないだろう。このまま無意識に落とし込むにはあまりにも危険だからだ。扱い方を間違えれば、AIがヒトの脳を乗っ取り人がゾンビ化するデーモン的景色が現実のものとなるだろう。逆にAIは人と類似の意識を持つようになるのだろうか。
2023.11.20(月)