舞台『ねじまき鳥クロニクル』の初演は、インバル・ピント、アミール・クリガー、藤田貴大が演出、脚本、大友良英が音楽を手がけ、芝居、コンテンポラリーダンス、音楽が融合する、既成のジャンルを超えた表現へと導いた話題作となった。作品創りをする上で意図していたことが、出演者を「演じる・歌う・踊る」と記されていることからも伝わってくる。
その新たな演劇表現をなした待望の作品の再演が実現する。初演と同じく主演を務める成河さんが稽古を通して実感していること、そして今の日本演劇界が抱える課題についても語ってくれた。
作品創りを通して“どこまで時代に抗えるか”
――村上春樹さんの作品を舞台として表現するのは難しいことなのでしょうか?
村上春樹的な言葉の世界は、演劇で表現するのが最適だと思います。映像は写実主義なので、その手法で描くこともできますが、非言語的なイメージのものを表現するのは演劇が最も得意とすることです。ですから舞台表現は一番大変だけれども、一番ふさわしいのではないでしょうか。
ただ、日本語のしゃべり言葉というものが書き物として完成されていないことと直結するのですが、日本語の演技は確立されていません。映画やドラマを観て同じような演技をしていると思えないのは、言葉がバラバラなので、みんながバラバラな演技をしているからです。西洋ではもう少しそれが整理されている。我々はこのバラバラな状態を楽しむしかないわけですが、村上春樹さんの文体に関しては取り組む価値があると思うので、ワクワクしています。
――初演とは違うものが生まれそうな予感はありますか?
課題として非常にマニアックなことがたくさんあるので、初演時ではそうしたことを頭の中でいろいろと思い描いていても、実際にそれに取り組むための時間はありませんでした。これほどまでにマニアックなことを、本当に納得がいくようにやろうと思ったら、年単位の時間が必要です。それが個人作業ではなく、集団創作であることが面白いんです。お互いに邪魔をしたり、邪魔をされたりしながら見つけていく。初演ではそうした作業にまでは手を伸ばせなかったので、これから取り組もうと思っています。今という何事においても厳しい時代に、コスパやタイパ(タイムパフォーマンス)を度外視して演るのが、演劇です。我々は作品創りを通してどこまで時代に抗えるかということに挑んでいるんだなと、日々痛感しています。
――現在の稽古場ではどなたから一番刺激を受けていますか?
一から十まで、インバル・ピントから刺激を受けています。彼女は“刺激の塊”なんですよ(笑)。そしてインバルと出会ってから「正直」という言葉についてすごく考えるようになりました。
僕は正直さと素直さということを対極の概念として考えています。素直な人というのはよく褒め言葉で使われますが、実は素直な人って嘘をつくんです。子どもがそうですよね。子どもは嫌われたくないし、怒られたくないから嘘をつきます。人が増えて自分の思うとおりにいかなくなると、排他的になって人を追い出してしまう。それは素直だからです。ですから、僕は人と人が一緒にいるためには、素直さだけではダメだと思います。それではどうするべきなのかと考えたときに対極にあるのが、正直さという概念です。
正直であることには、痛みや忍耐が伴います。正直でいると、相手を傷つけるかもしれないし、自分も傷つくかもしれない。傷を与え合いながら、時には残酷な選択もする。素直な人はそれができないんです。
演劇に限らず、何か物を創ったり、芸術に携わったりする人は、正直さをずっと追い求めていますし、いかにして正直でいられるかということが命綱になってくるのかなと思います。インバルが作品に取り組む姿を見ていて、この人は正直なんだと強く思いました。彼女はどんな些細なことにも絶対に嘘をつきません。それは嘘をつかないと決めているからです。インバルが創作や芸術活動に対して真摯だということ、その姿勢で物事に取り組んでいることを毎日感じています。
2023.11.06(月)
文=山下シオン
撮影=佐藤 亘