翠はなぜ故郷を捨て、縁もゆかりもない地方都市でひとり暮らしを続けているのか。台風が迫る中、大量の米を引き取らなければならなくなったのか。酒屋の跡継ぎだった瀬沼は、なぜ便利屋で日銭を稼ぎ、ハイエースでなく軽トラでやって来たのか。共に三十代半ばながら共通項がまるでないふたりの会話が軽妙につづられ、それぞれの事情が顕(あら)わになっていく。同時に、令和の今も日本人を縛っている旧弊な価値観、衰退する一方の農業や地方の現状が浮き彫りにされていく。
一九九七年に直木賞を受賞した『女たちのジハード』で篠田は、男性優位社会の中で踏みつけにされても躓(つまず)いてもへこたれず、人生を切り開こうとする康子やみどりら五人の奮闘を生き生きと描き、多くの女性読者を勇気づけた。あれから四半世紀以上経つが、我が国の男女平等度ランキングは一四六カ国中一二五位(世界経済フォーラム二〇二三年版「ジェンダーギャップ・レポート」)。『女たちのジハード』の主人公の一人と同じ読みの名を持つ「田舎のポルシェ」の翠も、政府が喧伝する“女性活躍社会”の薄っぺらさを日々痛感させられている。
日本の国力が衰え、未来に希望を持ちづらくなった令和を生きる翠は、昭和から平成にかけて社会に出たみどりたちのように躊躇せず新たな世界になど飛び立てない。しかし、自分が今いる環境の中で、愚痴をこぼしたり滅入ったりはするけれど、人生をあきらめず、投げ出しもしない。偏見や因習に抗(あらが)い、時に受け流しながらまっとうに働き、平凡だがかけがえのない日々を重ねていく。その姿は、どんなサクセスストーリーよりも現代の読者を力づけるだろう。
二作目の「ボルボ」は、還暦を過ぎた男二人の物語。大企業を退職した伊能(いのう)が、長年乗り続けてきたボルボを廃車にする前に思い出の地を巡ろうと、知り合って一年半の斎藤(さいとう)を誘い、東京から北海道へ。斎藤は、勤めていた印刷会社が定年間際に倒産し、今やバリキャリの美熟女妻に養われる立場。ロングドライブの間に、教養も妻への理解もある穏やかな紳士に見えた斎藤の仮面が、どんどん剥がれ落ちていく。情けなさ過ぎて同情してしまうほどだが、やがて思いもかけぬ展開が訪れる。ほろ苦くも痛快なラストに、身の回りにいるトホホなオヤジたちの内なるパワーを、そして自分自身を信じたくなった。
2023.11.02(木)
文=細貝さやか(ライター)