篠田節子の短編の凄みも、よく知っている。大震災が起きた東京から地方へと飢えた避難民が押し寄せていく「幻の穀物危機」。母親に虐待され、登校拒否の子供たちが暮らす農場にあずけられた少年が、食用の豚だけと心通わせ、誰からも与えてもらえなかった温もりを手にする「青らむ空のうつろのなかに」。高齢化と政治家の無策からアジアの最貧国となり、化学物質や放射能に汚染された近未来の日本を静謐(せいひつ)なタッチで描く「静かな黄昏の国」。幸せそうな女友達への嫉妬から主人公が心を病んでいく「天窓のある家」……。六百ページを超える大作にすることも可能なアイディアや材料を惜しげもなく投入しては凝縮し、余分なものを削ぎ落として生み出される色とりどりの短編は、味わい深く、時を経ても古びない。二〇〇二年に書かれた「静かな黄昏の国」など、東日本大震災と原発事故を体験した私たちに更なるリアリティで迫り、背筋を凍らせる。
中編が長編や短編に劣ると思っているわけではない。単に、好みの問題。早く寝なきゃ明日がつらいと思いながらページをめくり続けてしまう極上の長編ならではの背徳的快楽や、わずか数十ページで世界や人間の本質を浮き彫りにするキレのいい短編の衝撃を味わいたいのである。そんなわけで、今回はパスしようと思いつつ、でも、ちょっとだけ、と表題作「田舎のポルシェ」の立ち読みを始めたのだが、三ページ足らずでグッと心をつかまれ、レジへと向かうことになった。
まず設定が面白い。台風接近中だというのに、灯りも人気(ひとけ)も絶えた未明、岐阜市内の駐車場で女がひとり、迎えのハイエースを待っている。市の資料館で働く増島翠(ますじまみどり)。そこに現れたのは、なぜか古びた軽トラックで、全身紫のツナギ&喉元から金鎖&丸刈りの強面な大男が降りてくる。翠の同僚の知り合いで、東京・八王子にある翠の実家から百五十キロの米を運んでくる仕事を日当三万円で請け負った瀬沼剛(せぬまたけし)。かくして初対面の男女が、ポルシェ911と同じリアエンジンリアドライブの“田舎のポルシェ”を駆って、往復千キロに及ぶ旅に出る。
2023.11.02(木)
文=細貝さやか(ライター)