この記事の連載

 なぜヒトは、日常生活の必需品である「ことば」を持つのか。子どもはどのように「ことば」を覚えるのか。その謎に迫ったのが、発達心理学者の今井むつみさんと、言語学者の秋田喜美さんだ。カギとなるのは、オノマトペとアブダクション(仮説形成)推論の2つ。言語からヒトの根源に迫った『言語の本質』より、一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目。)

前編を読む


 前編では野原を駆けていくウサギを指して「ガヴァガーイ」と現地人が叫んだときに、「ガヴァガーイ」の意味を特定することは論理的に不可能であるという、「ガヴァガーイ問題」について述べた。仮に「ガヴァガーイ」が駆けていく動物、つまり私たちが「ウサギ」と呼ぶ生き物だとわかっても、実はガヴァガーイの本当の意味はまだわかったことにはならない。

 消防車の色が「アカ」で、バナナの色が「キイロ」と言える2、3歳児は多い。しかし、それでその子どもは「アカ」や「キイロ」の意味を知っていると言えるのだろうか? 実は、多くの2、3歳児はさまざまな色のみ木の中から「赤い(あるいは黄色の)積み木を取って」と指示されても、正しく赤や黄色の積み木を取ることができない。

「ことばの意味がわかる」ということは非常に豊かで複雑な知識を含む。これについては今井むつみ著『ことばの発達の謎を解く』や『英語独習法』で詳しく述べたのでここでは繰り返さないが、あることばが指す典型的な対象をいくつか知っているだけでは、そのことばの意味を本当に「知っている」ことにはならないことは、繰り返して指摘しておきたい。

 私たちはことばを、単にことばの音(形式)と概念の対応関係として理解しているわけではない。近代言語学の父ソシュールを持ち出すまでもなく、それぞれのことばは一つの対象とのみ結びついているわけではなく、広がりがある。つまりことばの意味は点ではなく、面である。では面の範囲はどう決まるか。同じ概念領域に属する他の単語との関係性によって決まるのである。対象を「点」として知っていても、「面」の範囲がわからなければ、ことばを自由に使うことはできない。

2023.10.10(火)
著者=今井むつみ、秋田喜美