言語の「点」と「面」
色の名前を覚えるにもガヴァガーイ問題が立ちはだかる。たとえば、ある言語において子どもが消防車の色を「ルチ(日本語ではアカ)」だと知ったとしよう。しかし、ミカンの色が「ルチ」であるかないかはまだ子どもにはわからない。日本語ではミカンの色は「アカ」とは呼ばないので、日本語を話す大人は「ルチ」ではないと判断するだろう。だが、やがて子どもは消防車の色とミカンの色を同じ「ルチ」と呼ぶかもしれない。実際、赤色とオレンジ色を同じことばで表現する言語は、世界に多数存在する。
動詞の場合には曖昧性がさらに増す。そもそも動詞は、動作や行為を指示するが、子どもが観察するシーンは動作主体、動作の背景(場所)、動作の対象など、動作以外の複数の要素が入り込む。そのうちのどの要素が動詞の意味のコアなのかは、一回や二回その行為を見ながらその動詞を聞くだけでは、到底推測できない。第4章で述べたように、そもそも、3歳くらいの幼児は、動詞といっしょに観察した動作の主体が変わっただけで、まったく同じ動作にその動詞を一般化できないのである。
第4章では、オノマトペが動詞の学習を助けると述べ、それを示した実験を紹介した。動作主体が変わると動詞をもとの動作とまったく同じ動作に使えない3歳児が、動作に音が合う新奇なオノマトペ動詞を使うと、別の人(動作主体)が行う同じ動作にも動詞を適用できるようになる。オノマトペ動詞の音が、動作主体に向けられがちな注意を動作そのものに向けさせてくれるからだ。しかし、当該の動詞が適用できる範囲は、言語の語彙の体系に大きく依存する。
日本語には「持つ」という動詞がある。日本語では手でモノを保持する動作を広範囲に「持つ」と言うが、肩、背中、腹、頭など、手以外の体の部位でモノを保持する場合には、「担ぐ」「背負う」「抱える」「載せる」など、別の動詞を用いる。韓国語はこの概念の体系が日本語とずいぶん似ているが、それぞれの動詞の範囲は微妙に異なる。
中国語はイラストの動作それぞれに別の動詞を用いる(図6-1)。英語は逆に、すべてのイラストの動作を一つの動詞holdで表現し、区別をしない。つまり、四つの言語での、この概念分野の切り分け方はまったく異なっているので、「点」(一事例)を観察しても、そこからその言語における正しい「面の範囲」を推測するのは論理的に不可能なのである。
2023.10.10(火)
著者=今井むつみ、秋田喜美