この記事の連載

 ミュージシャンとしてデビューし、文筆家や生活料理人など幅広い活動で知られる猫沢エミさん。30代で一度パリに移住した後、2022年に50歳で2度目のパリ移住を決行。フランス人のパートナーとの暮らしや移住で見えてきたフランス人の人生観、いまパリにいるからこそ感じる日本への思いについて語ってくれました。


――2度目の移住とあってパリで見えてくる視点も広がったのではないかと思いますが、20年前に初めて渡仏された時はどんな気持ちだったのですか?

 初めてパリに来た時は、もう右も左もわからなくて。周りにも誰もいなかったですしね。「今日一言も喋ってないな、『あ、あ、あ』、よし、声が出た」みたいな時もありました(笑)。そのくらい孤独で、孤独ってこういうことかと思いましたね。その当時は数人のフランス人くらいしか知り合いがいなくて、フランス語がほとんどわからないから、もうニコニコしているだけでした。

 言語を奪われるって、アイデンティティが本当に崩壊するんですよね。例えばATMの画面に出てくる単語もわからないけれど、当時はまだ紙の辞書しかなかったから、デジカメで画面を撮って家に帰って調べたりして。辞書を持って歩くのも限界があるから、取材の日には出てきそうな想定単語をノートに先に書き出したりもしていましたね。

――いまほどコミュニケーションツールも発達していなかった時代ですよね。

 国際電話も安くはなかったし、メールや手紙のやり取りくらいでしたね。SNSもまだなくて、mixiやブログくらいしかなかったかな。私が日本に帰国した2006年にようやくスカイプが登場して、初めて顔を見ながら無料でビデオ電話ができるようになった記憶があります。

 いまだって日本の友人になかなか会えないのは寂しいけれど、時間があったらLINEで話そうよとか、一杯飲みながらオンライン電話しようよとか、そういうことができるようになった。やっぱり体感というか、同じ空気の中で話すことって大事だなと思います。コロナ禍でも気付かされましたが、対面のコミュニケーションって、言葉ではないものを受け取り合っているからこそ元気になれるんですよね。

――パートナーとはどのようにコミュニケーションを取っていたのですか?

 私が初めてフランスに来た時、彼はグラフィティのチームにいて一緒に仕事をして、そこから3年間ずっと友人だったんです。うちに初めて遊びに来てくれたときなんか、全然フランス語で会話が成り立たなかった。目の前に辞書を置いて調べながら話すので、ひとつのフレーズを言うのに10分くらいかかるんです。待っている間に暇になった彼は絵を描いて、「かわいい絵が描けた」とか言ったりして(笑)。そんなこんなで8時間かけて、自己紹介や自分が何を考えているかなど伝えましたね。いま思うと、彼もよくずっと聞いてくれたなと思うんですけど(笑)。

 外国人や異文化が好きな人だから、「頑張ってフランス語を話す感じもわかるし、気持ちもわかる」と言ってくれましたね。でもいま振り返ると、「あの頃は、やっぱり私と深い話はできなかった」と言われます。フランスで仕事を始めたり、いろんな経験をしたり、人生のあれこれを超えて自信がついて、いまは感情が伴う形でフランス語の会話ができるようになりました。「生意気なことも言えるようになったね」と言われるので、「これからもどんどんいきますよ」なんて話したりします(笑)。

2023.08.12(土)
文・撮影=鈴木桃子