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ゴミ箱へボールをぽいぽいしてくれた

●ラジオネーム:匿名キー坊さん

 湯船に入ることも、湯船から出ることも「入る」と表現する。湯船から出たいときも「入る!」とお願いしてくる。「何かをまたいで(こえて)移動する」行動をすべて「入る」とくくっているような気がします。

 この事例は、そもそもシーンを動詞に対応づけるときの曖昧さを如実に示している。「入る」「出る」は、動作主体が空間の外にありその中に移動するか、空間の中にあり外に移動するかのみが問題になる。バスタブを「外」と捉えれば、バスタブに「入る」だし、バスタブを「中」と捉えれば、バスタブから「出る」である。しかし、バスタブを外と見るべきか中と見るべきかは誰も教えてくれない!

それに対して、「またいで移動する」動作は視覚的に捉えやすい。だから「入る」を<またいで場所を移動する>と考えて、バスタブから出るときにも使うのは、完全に理屈に合っている。

「ポイする」

 オノマトペが動詞の学習を助けると述べた。しかし、オノマトペの支援には限界がある。たとえば、子どもがティッシュを「捨てる」事例を見てみよう。思えば、「捨てる」や「片づける」もまた、「入る」同様、非常に抽象的な意味を持つ動詞である。どんな動作で捨ててもよい。片づけてもよい。行為の意図と結果のみが問題である。たとえば、「洟(はな)をかんだティッシュを捨てましょう」とお母さんが言って、子どもが行うべき行動は、洟をかんだティッシュペーパーを手でつまみ、ゴミ箱まで歩いていき、ゴミ箱に投げ入れるというものである。この行為の連なりのどこに「捨てる」を対応づけるべきなのか。

 オノマトペの「ポイ」はそこを助ける。「ポイ」ということばの音を、子どもはゴミ箱に投げ入れる動作に結びつけることができるのだ。しかし、ここで、子どもは第3、第5章で述べたことばの多義性のために、別の種類の一般化の問題に直面する。つまり、ある場面で「ポイする」がわかっても、他の場面に正しく一般化できる保証はないのだ。

●ラジオネーム:あさりんさん

 子供の足元にボールが転がってきた。私はやや離れたところに立っていた。そこで、娘ちゃん、ボールぽーいってして(投げて)、と言った。しかし娘は不思議そうな顔をして動かない。私はもう一度ぽーいして、と言ってみた。すると娘はボールをしっかり持ったまま後ろへ向かって走り出した。どこへ行くのかとついていったら、ゴミ箱へボールをぽいぽいして(捨てて)くれました。

 この子どもは「ポイ」を大人の考える「軽く投げる」動作ではなく、「捨てる」の意味で理解していたのだろう。オノマトペは一般語のように多義性を持つ。ある状況が、ある単語の複数の意味の中でどの意味に当てはまるかを見極めるには、かなり高度な推論が必要となる。子どもはこのように推論で意味を拡張し、間違いをしながら、多義の構造を学んでいくのである。

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今井むつみ

1989年慶應義塾大学大学院博士課程単位取得退学。94年ノースウェスタン大学心理学部Ph.D.取得。慶応義塾大学環境情報学部教授。専門は認知科学、言語心理学、発達心理学。

秋田喜美

2009年神戸大学大学院文化化学研究科修了。博士(学術)取得。大阪大学大学院言語文化研究科講師を経て、名古屋大学大学院人文学研究家准教授。専門は認知・心理言語学。

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2023.10.10(火)
著者=今井むつみ、秋田喜美