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クワインの「ガヴァガーイ問題」

 赤ちゃんがとくに訓練をしなくても、音と対象の間の対応づけをすることができることは、実験結果で確かに示された。しかし、対象が一つ見つかるだけでは厳密には「ことばの意味」を学んだことにはならないし、そのことばを使うことができない。ことばを使うためには、最初に結びつけられた指示対象だけではなく、他のどの対象にそのことばが使え、どの対象には使えないのかを見極められなくてはならない。

 これはなかなか難しい問題である。とくに動詞については難しい。というのは、動詞はおもに動作や行為を指すが、動作・行為には必ずモノ(動作主、動作対象、道具など)や背景など、動き以外の情報が多く含まれるからだ。

 たとえば、図4-4のイラストのAは「竹を踏んでいる」、Bは「カンをつぶしている」と表現し分けることができる。しかし実は二つのシーンは、足を対象に押し付けているという点でとても似ている。それにもかかわらず、「踏む」は<足で>下方向に力を加えることが意味のコア(中核)にあるが、「つぶす」の場合は力を加えるのは足でなくて手でもよいので、<足で>は意味のコアには含まれない。

 後者の場合には、力を加えた結果、もともと厚みのあったモノが平らに変形することが意味のコアとなるので、<初期状態においてモノに厚みがある>ことがコアに含まれる。イラストのような一事例を見ただけでは、大人でも到底この意味にたどり着くことはできないだろう。

 この問題は、アメリカの哲学者であるウィラード・ヴァン・オーマン・クワインが「論理的解決が不可能な問題」として提唱し、彼の出した例にならって「ガヴァガーイ問題」と呼ばれている。まったく知らない言語を話す原住民が野原を跳びはねていくウサギのほうを指差して、「ガヴァガーイ」と叫んだ。「ガヴァガーイ」の意味は何か? 私たちは直感的には当然<ウサギ>だと思う。しかし原住民は、<野原を駆け抜ける小動物>を指して「ガヴァガーイ」と言ったのかもしれない。<白いふわふわした毛に覆われた動物>かもしれないし、<白い毛>なのかもしれない。あるいは<ウサギの肉>という意味だったかもしれない。

 クワインは、一つの指示対象から一般化できる可能性はほぼ無限にあると指摘したのである。そして、この問題は、ことばを学習する子どもたちがつねに直面する問題である。

2023.10.10(火)
著者=今井むつみ、秋田喜美