この記事の連載
- 『言語の本質』より#1
- 『言語の本質』より#2
赤ちゃんはどのように名づけに気づくのか?
ことばの音と対象の対応づけが自然にわかると、何がもたらされるか? これを何回か経験すると、「単語には意味がある」という洞察を赤ちゃんが得ることができるのだ。
一般的に、ことば(単語)はその音から意味を推察することができない。「フィッシュ」「ポワソン」「ユイ」。これらは英語、フランス語、中国語でそれぞれ<魚>を意味する単語である。とくに<魚>を思わせる音ではないし、互いに音が似ているわけでもない。つまり、ことばの音と意味の間には、直接的な関係はない。
しかしオノマトペは違う。「トントン」と「ドンドン」、「チョコチョコ」と「ノシノシ」など、それぞれの単語の音は意味とつながっている。つまり音が意味を教えてくれるのだ。音をちょっと変えて、「チョカチョカ」「ノスノス」にしても、軽い感じ、重くてゆっくりした感じは保たれる。普通のことばだとそうはいかない。たとえばサカナの最後の母音を変えてサカノにすると、サカナとはまったく関係ない意味になってしまう。
言語をすでに使いこなしている私たち大人にとって、音声のことばにはそれぞれ指し示す対象があり、意味を持つ、という「名づけ」は、当然のもののように思える。しかし、考えてみると、赤ちゃんはどのように名づけに気づくようになるのだろうか?
対象それぞれに異なる名前があるということは、実は偉大な洞察なのである。視覚と聴覚を失(な)くしたヘレン・ケラーは、掌(てのひら)に冷たい水を受けているときにサリバン先生が“water”と指文字で綴ると、その指文字とは掌に流れる冷たい液体の名前なのだという啓示を得た。このエピソードをご存じの方は多いだろう。
それ以前にもヘレンは、モノを手渡されるそのときどきに、サリバン先生の指が別々の動きをしていることに気づいていた。しかし、彼女が手で触れるサリバン先生の指文字の形がその対象の「名前」だということには気づいていなかった。それまで、指文字を覚え、対象を手渡されれば指文字を綴ることができたが、ヘレンはのちにそれを「猿まねだった」と回想している。ヘレンは、waterという綴りが名前だということに気づいたとき、すべてのモノには名前があるのだという閃(ひら)めきを得た。この閃きこそが「名づけの洞察」だ。
名づけの洞察は、言語習得の大事な第一歩である。人間が持っている視覚や触覚と音の間に類似性を見つけ、自然に対応づける音象徴能力は、モノには名前があるという気づきをもたらす。その気づきが、身の回りのモノや行為すべての名前を憶えようとするという急速な語彙の成長、「語彙爆発」と呼ばれる現象につながるのだ。語彙が増えると子どもは語彙に潜むさまざまなパターンに気づく。その気づきがさらに新しい単語の意味の推論を助け、語彙を成長させていく原動力となるのである。
音と意味が自然につながっていて、それを赤ちゃんでも感じられることが、「単語に意味がある」という「名づけの洞察」を引き起こすきっかけになるのではないか。だから大人は赤ちゃんにオノマトペを多用するのだろう。(しかし、これは重要ではあるが、きっかけにすぎず、赤ちゃんが名づけの洞察を得るにはさらなる認知能力を想定する必要がある。このことは第6章で詳しく述べる。)
2023.10.10(火)
著者=今井むつみ、秋田喜美