大手左派メディアを厳しく批判
宮崎駿が政治的に左派であることを疑うものはいないだろう。だが、若き日に東映動画の労働組合運動で最前線に立ち、国民的アニメ監督となってからも現代日本や時の総理大臣を名指しで批判する一方で、1989年の天安門事件の際には「中国政府は殺人をやめよ」と書いた張り紙をスタジオジブリ本社の窓に貼り出したこともあったという。
「コミックボックス」1989年9月号のインタビューでは《(筆者注:国外退去を恐れて文化大革命の影を報道しなかった)その時以来、日本のマスコミは信じないことにしてるんですけどね》と大手左派メディアも激しく批判した。左派としての理想をもつからこそ、宮崎駿の中には母と同じ、左派の退廃と偽善に対する怒りが燃え続けていた。
戦後知識人の保身と欺瞞を軽蔑した母と、美しい自己犠牲に身を投じる宮崎アニメの人物たち。宮崎駿の作品世界には戦後民主主義の理想と、失われた戦前の美しい幻影が複雑に混じり合い、だからこそ左右の政治性を超えて観客を統合する「国民的アニメ」になりえたとも言える。
庵野秀明が安堵したラストシーン
前作『風立ちぬ』で筆者が危ういと感じたのは、その左右の政治精神の間でバランスを保ってきた宮崎アニメが、戦前を描くことで片方に傾斜していくように思えたからだ。同作で主人公を演じた庵野秀明は、ラストシーンのセリフが、亡き妻が主人公を冥界に招く「来て」という言葉が土壇場で「生きて」に変更されたことに何度も言及し「本当に良かった」と安堵していた。
今思えば『風立ちぬ』に登場する堀越二郎の病弱な妻・里見菜穂子もまた、亡き母の投影であったように思える。彼女は架空の人物であり、作家・堀辰雄の自伝的小説に着想を得て生まれたキャラクターだという。当然、現実の堀越二郎とは無関係だ。しかし宮崎駿には、堀辰雄の小説を融合してまで彼女を描く強い動機があったのだ。
「来て」と「生きて」をめぐるその結末は、主人公の生と死をめぐる対話であるだけではなく、「美しい戦前か、醜い戦後か」という思想の二者択一で老いた宮崎駿がかろうじて踏みとどまるラストシーンでもあった。
2023.09.23(土)
文=CDB