電通と博報堂という二大広告代理店を手玉に取るように競わせて宮崎駿を国民的監督に押し上げた彼が一切の宣伝を打たないのは、予告編や内容を事前に出せば観客が離れてしまうような出来だからではないのか。前日まで一般試写すらないままの秘密主義にそんな疑念さえあった。

 だが公開されてみれば、それらの不安がすべて杞憂、邪推であったことを恥じつつ、嬉しく思うしかない見事な出来だった。吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』からは大きく離れているものの(エンドロールの中で同著は原作とすら書かれておらず、原作・脚本・監督 宮崎駿となっている)、軍需産業の飛行機会社を経営する父を持つ少年の内面の物語、これまで言葉少なに語ってきた宮崎駿の個人史を明かすような、見事な宮崎アニメがそこにあった。

『エヴァンゲリオン』との共通点

 これはまるで宮崎駿版の『エヴァンゲリオン』のようだ、と映画を見ながら感じた。圧倒的な権威で軍事企業のトップに君臨する父。失われた母の面影と、その母の化身であることが隠された少女。世界と自分に対して鬱屈を抱えた少年。庵野秀明が25年かけて完結させた「私小説」である『新世紀エヴァンゲリオン』と、宮崎駿の自伝的作品である『君たちはどう生きるか』は、奇妙なことに似通った構造を持っている。

 

 不思議な共通点は、2021年に公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の側にもある。心に深い闇を抱えた碇シンジが再び生きる意味を見つけ直す「第3村」でのシークエンス、名もない人々が自然の中で力を合わせて文明を建て直す姿は、まるで宮崎駿や高畑勲が繰り返し描いてきた自然と人間の姿、ジブリアニメのようではないかと評された。

 謎めいた近未来美少女としてシリーズの中で描かれてきた綾波レイが太陽の下で畑仕事に精を出す姿、大人としての生活に疲れを見せながらも生きていくトウジ、ケンスケ、ヒカリたちの姿は「説教くさい」と賛否も分かれた。だが、そのシークエンスは、かつて宮崎駿や高畑勲らに反発した庵野秀明が、彼らから受け継いだ何かを作品の核に組み込む、重要なシーンになっていたと思う。

2023.09.23(土)
文=CDB