『風立ちぬ』から10年が経った
その死の影を最も濃くした2013年に公開された『風立ちぬ』から、さらに10年の時が経っている。劇場映画初監督作品である1979年の『ルパン三世 カリオストロの城』から40年あまり、次作までこれほど長く作品が発表されなかったことはない。
「創造的人生の持ち時間は10年だ」と『風立ちぬ』の中でカプローニは主人公に不気味に予言する。それは数十年も第一線にいる宮崎駿の「自分はもう老いた」という言及にも見えた。その『風立ちぬ』からさらに経過した晩年の10年、その時間が宮崎駿をどう変えているのか、予想がつかないままだった。
もともと80歳近くまで映画を撮ることは、選ばれた天才にしかできないことだ。ほとんどの映画監督は60〜70歳、いやもっと早くに商業映画の最前線から否応なく脱落せざるを得なくなる。だがその資本主義の残酷なシステムによって、多くの作家は結果的に、自分の能力が完全に衰え切る前に、観客の前から去ることができる。スポーツ選手がそうであるように。
鈴木敏夫の「前代未聞の手法」
しかし、宮崎駿の映画は、作る前から巨大な収益が見込まれ、初日から待ちに待った観客が日本中の劇場に押し寄せることが約束されている。作れば必ず公開され、多くの観客が見るからこそ、『君たちはどう生きるか』を見ながら、これがあの宮崎駿の作品なのか、と嘆息することになるのではないか。そうした危惧は、「まったく事前の宣伝をしない」「予告編含め、映画の内容や画像を明かさない」という鈴木敏夫プロデューサーの大型商業映画として前代未聞の手法によってさらに深まった。
鈴木敏夫といえば、宮崎駿初のオリジナル作品である『風の谷のナウシカ』を劇場映画化する企画を通す時、徳間書店の企画会議で5万部しか売れていない原作の売り上げを問われ「5~10万部売れています」と涼しい顔で答え、「50万部」と上司たちに勘違いさせて企画を通した伝説が知られる。
2023.09.23(土)
文=CDB