筆者が高校や予備校の教室で問題演習の授業をするとき、常に心がけているのが、「楽しそうに問題を解く」ということです。時おり「これは良い問題だ」という言葉を挟みながら、それがどのような点で「良い問題」なのかも説明します。
もちろん、中には出題の意図が分からない、首をかしげたくなるような問題もあるにはあるのですが、そうした素振りを生徒に見せることはありません。それは、そうすることで生徒にとって得になることが、何一つないからです。それよりもむしろ、「良い問題」に対してはっきりと「良い問題」だと言い、楽しそうに解いていた方が、生徒もその問題に興味を持ってくれて、得られるものが大きいでしょう。学びの道はいつも、その対象への興味関心、少し格好つけて言えば、「知的好奇心」によってこそ開かれます。
我が身を振り返れば、筆者はそういう本ばかりを書いてきました。東京大学の入試問題をただ解くという本が、幸運にも数多くの読者を得られたのも、東大の先生方が繰り出す問いに対する私の熱量のようなものが、きちんと伝わったからなのだと思います。そして、本書でも、そのような姿勢はまったく変わりません。
さて、それでは「良い問題」とはどのような問題なのでしょうか? 筆者には、三つの基準があります。
まず一つめは、「自明に思える物の見方や考え方に揺さぶりをかけてくる」ということです。それまで当たり前のように考えていたことが、別の角度から光を当てることによって、あるいは、史料を掘り下げて読むことによって、新たな一面が見えてくる。それが歴史を学ぶ面白さですし、入試問題にも、新しい研究成果を踏まえて従来の「常識」を問うようなものが見られます。そしてまた、そうした問題に敏感に反応して、自らの持つ知識をアップデートしていくことも、教える者にとっては当然の努めです。
続いて二つめは、「この国の成り立ちが見えてくる」ということです。もちろん、歴史上の人物には魅力あふれるエピソードが多々ありますが、この国の歴史を学ぶからには、私たちが生きているこの国が、いかにして今こうなっているのかが分からなくては意味がありません。入試問題にも、一つめのことと連動しながら、「この国の成り立ち」について考えさせられる問題があります。また、現代の社会や文化にも、私たちが想像する以上に歴史が深く刻まれています。そのようにこの国の成り立ちとして歴史を理解することで、真っ当な形でこの国を愛する心が養われるでしょう。
2023.09.18(月)